取材日記

西エルサレムと東エルサレム

2014/12/26

村田信一さんによる、『パレスチナ』の取材日記、2回目です。ルールデスの暮らすエルサレムは、旧市街のある東エルサレムと、ユダヤ人の多い西エルサレムにわかれています。ルールデスは旧市街から外に出ることってあまりないのかな…と思っていましたが、そうでもないようでした。(1回目の取材日記はこちらです)

ルールデスの家から学校までは、ゆっくり歩いても10分かからないくらいの距離。旧市街の北のはずれにある家から、西側のヤッフォ門近くの学校までは、なかなか楽しい道のりだ。生まれてからずっとここに住んでいるルールデスにとっては、ただの通学路なのかもしれないけれど、まわりがすべて数百年から、時には千年単位の歴史を持つ町なみなんて、世界でもそうはないだろう。

世界中からおとずれる観光客や巡礼者たち相手の土産物屋が軒を連ね、世界中の言葉が飛び交うなかを、ルールデスは毎日歩いている。出勤するお母さんといっしょに家を出て、すぐに学校に到着。入り口でお母さんとキスして別れると、ルールデスは登校してくるクラスメートたちとすぐになにやら話しはじめた。

私が現地にいた間、放課後になるとルールデスたちはほぼ毎日ダブカの練習をしていた。ダブカというのは、パレスチナの伝統的なダンスのこと。各種イベントや結婚式などで踊られることが多いが、小学生くらいから学校で練習しているとは知らなかった。上級生が教えているのだが、これがすごく厳しくて、みんな息を切らせていた。体の大きいルールデスは、このときばかりはみんなの動きについていくのがやっとという感じだったけど、みんなで協力してやることを学ぶいい機会なのかもなと思った。

ルールデスがお母さんと買い物に行くというのでついて行った。学校が終わり、ルールデスは従姉妹と待ち合わせて、旧市街のジャッファ門を出てすぐのところにある、マミラモールへ。モールがあるところは西エルサレムだが、旧市街から近いので、パレスチナ人たちも買い物に行く。日本でも見かけるブランドの店やおしゃれなレストランやカフェがあるところで、値段はどこも高い。でも、新しい街区でもあり、格好の散歩コースになっているようだ。

モールでおかあさんと弟のクリスと合流し、ルールデスたちはまず服を買いに。なんども試着したり、どれを買うかでおかあさんともめたりしていたが、気に入った服を買ってもらい、うれしそうに店を出て、次の店に。服や化粧品やアクセサリーを手に、ルールデスはご満悦のようすだった。

ルールデスの家では、両親ともいそがしいこともあり、あまり家族そろっての撮影ができなかったが、お母さんもお父さんも、いつ連絡しても親切に対応してくれた。また、学校では、校長先生自らがときおり撮影を見学に来て、興味深そうに私と子どもたちのやりとりを見たりしていた。短い間だったけれど、親切に協力してくれたみなさんに感謝。

2014年の夏にあったガザでの戦争以降、エルサレムやヨルダン川西岸でもイスラエルとパレスチナの衝突が頻発している。これは、東エルサレムにある、イスラームの聖地である岩のドームとその敷地に、ユダヤ人の右派が入ったことが発端となった。各地での衝突で双方に死傷者が出ているが、何とか平穏に解決してほしい。本来は平和の地であるべきエルサレム、そしてこの地域全体に真の平和がおとずれることを祈っている。

(写真・文 村田信一)

世界のともだち⑱『パレスチナ 聖なる地のルールデス』について詳しくはこちらをどうぞ!
世界のともだち⑰『イスラエル 小さな芸術家 シラ』もあわせてどうぞ。

村田信一

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1963年松本市出身。1990年より、パレスチナをはじめ、ソマリア、レバノン、コンゴ、ボスニア、イラク、チェチェン、シエラレオネなど戦争の現場を取材。とくにパレスチナには、ほぼ毎年通っている。2011年からは、東日本大震災後の東北の撮影も続け、今では「この世界の本質」を感じ、表現することをテーマにしている。著書に、『戦争という日常』『バグダッドブルー』(以上、講談社)、『パレスチナ残照の聖地』(長崎出版)などがある。

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