取材日記

ルールデスとの出会い

2014/12/22

今日は、村田信一さんによる、パレスチナの取材日記をおとどけします。パレスチナの主人公は、エルサレムの旧市街にくらすルールデス。どうしてエルサレムを選んだのか、ルールデスとどう出会ったのか、おしえてもらいました。

エルサレム旧市街。
日本ではあまりなじみがないかもしれないが、世界的に有名な聖地であり、観光地でもある。数千年の歴史をほこり、世界遺産にあふれるところでもある。そして、20世紀以来は、紛争地としても有名になってしまったが、それもこの地が秘めているすばらしさゆえでもある。パレスチナの少女、ルールデスは、この歴史溢れる古い町並みの中で暮らしている。

長らくパレスチナを取材している私は、ヨルダン川西岸地区やガザ地区に多くの友人たちいるが、実はエルサレムでの友人はあまりいない。でも、この本の依頼を受けたときに、是非エルサレムの子供でストーリーを作りたいと思った。理由はふたつ。ひとつは、パレスチナというと、被占領地で暮らす人たち、難民というイメージが一般的に浸透しているような気がするが、そうではない、普通のくらしを撮りたかったこと。もうひとつは、イスラム教を信仰している人々というステレオタイプとは違う人たちを見せたかったということ。また、1967年以来イスラエルの占領下にあるものの(イスラエルはエルサレムを併合したが、世界的には認められていない)、旧市街を含む東エルサレムが、パレスチナ人たちの聖地であり、またユダヤ教とキリスト教、イスラム教の聖地でもある大切な場所であることを少しでも知ってもらいたいと思った。

ルールデスとは、東エルサレムの旧市街で土産物店をやっている知人経由で、キリスト教の女学校の校長先生から紹介してもらい出会った。第一印象は、同級生とくらべると体格が大きいなあ、というくらいだったが、とても目がきれいで力強くて、しっかりした子だなと思った。ミッション系の学校だから、規則がきびしくて撮影はむずかしいかと思っていたが、本の内容を説明すると、校内や授業などの撮影にすべて許可が出て、すぐに取材をはじめることができた。

学校は石造りで歴史を感じさせる、とてもおちついた雰囲気のところで、いたるところにあるキリスト像やマリア像のせいか、厳粛な気配がただよっていた。おそろいの制服に身をつつんだ女の子たちはとても元気で、カメラを持った私をみるとかけよってきて、「写真撮って!」と口々にせがみ、それはもうたいへんなさわぎ。先生がやってきてもおさまりそうにない。それでも、授業前に中庭に整列するときには、しっかりと静かになり校長先生のシスターの話を聞いていた。

授業を見ていると、ルールデスはいつもいちばんに手をあげ、はきはきと答えている。また、休み時間にも、ほかのクラスメートたちはみんなルールデスのまわりに集まっていた。これは、ルールデスが体が大きいこともあるのかもしれないが、やはり彼女のリーダー的な性格や気質によるのだろう。クラスメートと笑顔で話すルールデスをたのもしく思った。

ルールデスのお父さんは、旅行会社を経営し、ほとんど家にいない。ヨーロッパや中東諸国、アジアなど、世界中を旅していることが多いそうだ。また、お母さんは法律事務所で秘書をしていて、とてもしっかりした女性という印象だ。ルールデスは、そんな両親の気質を受けついでいるのだろう。ただ、弟のクリスはほんとうにやんちゃで、いつもにこにことして、遊んでばかり。じっとしていることがない。最近では、おとうさんに買ってもらったiPadがお気に入りのようで、私がいっしょにいたときも、ほとんどゲームをやっていた。
ルールデスは、そんな弟の世話、おかあさんの買い物や料理の手伝い、そして勉強や趣味の人形遊びやデザイン画のスケッチなど、いろんなことをこなし、すでに一家のかなめになっているようにみえた。

(写真・文 村田信一)

世界のともだち⑱『パレスチナ 聖なる地のルールデス』について詳しくはこちらをどうぞ!
世界のともだち⑰『イスラエル 小さな芸術家 シラ』もあわせてどうぞ。

 

村田信一

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1963年松本市出身。1990年より、パレスチナをはじめ、ソマリア、レバノン、コンゴ、ボスニア、イラク、チェチェン、シエラレオネなど戦争の現場を取材。とくにパレスチナには、ほぼ毎年通っている。2011年からは、東日本大震災後の東北の撮影も続け、今では「この世界の本質」を感じ、表現することをテーマにしている。著書に、『戦争という日常』『バグダッドブルー』(以上、講談社)、『パレスチナ残照の聖地』(長崎出版)などがある。

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