取材日記

みんなでピクニック

2014/12/06

イスラエルの取材日記、2回目です。(1回目はこちらです)家族そろってのひさしぶりのお出かけ。シラもすごく楽しみにしていたそうです。先の戦争に対する、シラのおかあさん、ミハールの思いもいっしょにお届けします。

テルアビブは3月ともなると、すでに春の日ざし。連日ぬけるような青空の日と、汗ばむ陽気が続く。4月をすぎると夏の陽気になるから、この季節が一番すごしやすいときかもしれない。そんな3月のある日、シラのお母さんとお父さんの仕事が休みとなり、シラが楽しみにしていたピクニックへと出かけた。シラ一家とシラの親しいクラスメートの一家が集まり、テルアビブとエルサレムの間にある広大な自然公園にむかうそうだ。友だちもみんな集まるということで、シラは朝からウキウキとして落ち着きがない。おとうさんのダニーも、おかあさんのミハールもうれしそうだ。一家そろって出かけるのは何か月かぶりなのだ。

いつも渋滞しているテルアビブ市内の喧噪をぬけると、気持ちのよいハイウェーがひろがっている。そこをかなりのスピードで飛ばし(イスラエルのドライバーはほんとうにスピードを出す。実は交通事故はかなり多いのだ)、市外に出てから20分たらずで自然公園に到着。やはり休みの一日を楽しもうという人たちの車が何台もとまっていたが、ダニーは車を未舗装路に乗り入れ、丘を登り奥の方へと入っていく。途中、何台もの車やオートバイとすれちがった。やがて遠くテルアビブを望む丘の上の広い場所に到着。そこが目的地だ。

すでに何家族かは到着していて、ランチの用意をしていた。シラも友達の顔を見つけると、歓声を上げながら車から飛び出していった。私も、シラの学校での撮影などで知った顔が何人かいたので、いっしょに食べながら、そしてシラたちと丘の探検を楽しみながら撮影した。

西日が強くなるころ、みんなで片づけをはじめ、つかれきった子どもたちを乗せた車は、それぞれ家路へとついた。帰りの車中では、シラはすぐに眠りこんでしまっていた。その寝顔に見入るミハールとダニーもほんとうに幸せそうだった。その光景は、なんの変哲もない日常のひとコマかもしれないが、生きていることの素晴らしさを教えてくれているような気がした。

イスラエルという国は、ご存じのようにパレスチナの問題を抱え、近隣諸国とは常に緊張関係にある。また近年は、世界各地からの移民がふえたこともあり、さまざまな文化相違のあつれきがおこったり、物価高騰などの経済問題があらわれてきたりもしている。しかしそういった国の問題とは別に、地中海文化とでもいうのか、ゆるやかで自由な気質がたしかにあり、それがこの地の魅力でもあり、そこに暮らす人々の魅力でもある。

シラの一家は、テルアビブのみならず、イスラエルの典型的な家庭だと思う。そして、だれもが平和な社会を望んでいる。今年の夏、イスラエル軍がガザに攻撃をしかけた大きな戦争がおきたが、シラのお母さん、ミハールの働く病院にも、ガザからたくさんのパレスチナ人が治療にやってきたという。ミハールたちは一生懸命にガザの人たちの治療にあたり、とても心を痛めていた。同じ人間なのに、どうしてこんなことがおきるの、ミハールは私にメールでそう書いてきた。そして、そんなミハールの気持ちは、多くのイスラエルの人たちの思いだと信じたい。そして、こんな素敵な人々に会いに、多くの日本の人たちが現地を訪れてほしいと願う。あなたもきっと、メディアでは伝えられない、イスラエルの魅力にひかれ、その空気に包まれて時がたつのも忘れてしまうことだろう。

(写真・文 村田信一)

世界のともだち⑰『イスラエル 小さな芸術家 シラ』(写真・文 村田信一)
について、くわしくはこちらをごらんください!

村田信一

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1963年松本市出身。1990年より、パレスチナをはじめ、ソマリア、レバノン、コンゴ、ボスニア、イラク、チェチェン、シエラレオネなど戦争の現場を取材。とくにパレスチナには、ほぼ毎年通っている。2011年からは、東日本大震災後の東北の撮影も続け、今では「この世界の本質」を感じ、表現することをテーマにしている。著書に、『戦争という日常』『バグダッドブルー』(以上、講談社)、『パレスチナ残照の聖地』(長崎出版)などがある。

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