取材日記

シラの住むテルアビブ

2014/11/27

今日は、『イスラエル』の取材日記です。シラとの出会いをカメラマンの村田さんが教えてくれました。テルアビブの気持ちのいい街なみといっしょにお楽しみください!

春の心地よい光に包まれながら、閑静な通りを歩いていた。テルアビブの中心にある市庁舎前の通りから、一本通りを入っただけなのに、あたりは驚くほど静かでおだやかな空気がひろがっていた。整然と石造りのアパートがつらなり、よく整備された道には、居住者たちのものだろうか、車がこれまた整然とならんでいる。街路樹もよく手入れされ、道路に面した家々の敷地には緑があふれていた。

「世界のともだち」シリーズのイスラエル編を担当することになり、イスラエルにそれほど親しい人がいないことに気がついた。急遽知るかぎりのイスラエルの友人をあたり、日本に暮らす友人経由で、いくつかの家族を紹介してもらった。子どもや家族の写真を見たり、暮らしぶりを聞いていたので、それほどイメージと違うことはないだろうと思いながらも、やはり会ってみないことにはわからない。春の陽光を全身にあびながらも、どんな家族だろうかと、少しは不安でもあり緊張しながら歩く。

めざす家は、市庁舎広場から5分ほどだった。緑のアーチをくぐり、階段をのぼって2階へ。ドアが開いて目の前に立っていたのは、写真で何度かみていた女性だった。あまりにイメージ通りだったので、初めて会った気がしない。お互いにとてもリラックスした感じであいさつを交わす。そして彼女の後ろにはずかしそうにしていたのが、今回の主人公となったシラ。広く開放的なアパートのフロアでしばらく話した。壁にはイスラエルのアーティストの絵がさりげなく飾ってあり、テラスからは緑の木々とそのむこうの市庁舎への通りが見える。こちらの撮影のイメージや、撮りたい内容について話すが、こころよく了承してもらえた。

シラの母親のミハールと話していてふとシラを見ると、紙にむかって真剣な表情で絵を描いていた。何気なく見ていたのだが、よくよく絵を見るとすごく巧いというか、アーティスティックな絵だった。描いていたのは骸骨なのだが(なぜか彼女は骸骨好きで、その後もたびたび描いていた)その表現が豊かで、タッチもすばらしいのだ。思わず見とれる私に、いつもこうなのよね、とミハールはなかばあきれ顔でいう。

シラの部屋を見せてもらうと、とにかくちらかっている。そして、机の上から床からベッドの上まで、怪獣やらアニメに出てくる戦隊ものやらのフィギュアがたくさん! シラはそれらをうれしそうにとりあげ、自慢げに見せてくれるのだ。
「いつもこんな感じ。勉強もしないし、変わっているのよ。シラで撮影できそう?」
心配げに聞くミハールに、私は太鼓判を押した。こんなおもしろい子はそれほどいないだろうし、なによりもイスラエルの置かれた社会情勢などとは別に、ふつうの子であり、またふつうの家庭であるところがすばらしいと感じた。

私はテルアビブでもアーティストたちが多く暮らすフロレンティンというエリアに滞在し、毎日のように歩いてシラたちに会いに行った。テルアビブはイスラエルでは大きな方だが、たいていのところには歩いて行ける、ほどよいスケール感の街だ。オープンカフェや市場、路上のミュージシャンなどをながめながら歩き、歩きながら街の撮影などもしていると、とても気持ちがいい。全体に平坦であるところもいい。そして、何よりも地中海。海に面した開放的であたたかな気候が生み出す雰囲気が、街全体にひろがっている。そんなテルアビブでのシラの暮らしの一端を垣間見てほしい。

(写真・文 村田信一)

世界のともだち⑰『イスラエル 小さな芸術家 シラ』(写真・文 村田信一)
について、くわしくはこちらをごらんください!

村田信一

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1963年松本市出身。1990年より、パレスチナをはじめ、ソマリア、レバノン、コンゴ、ボスニア、イラク、チェチェン、シエラレオネなど戦争の現場を取材。とくにパレスチナには、ほぼ毎年通っている。2011年からは、東日本大震災後の東北の撮影も続け、今では「この世界の本質」を感じ、表現することをテーマにしている。著書に、『戦争という日常』『バグダッドブルー』(以上、講談社)、『パレスチナ残照の聖地』(長崎出版)などがある。

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