

アンネへあてて、それぞれ日記を書き始めたゆう子と母親。ふたりの日記を通して、人間の自由と尊厳をおかすものを鋭く告発する。
受賞歴:
★刊行時に寄せられたメッセージです
コトッ、コトッと音がして「ナイ、イナイ、ドコニモイナイ…」二、三歳の幼い子が腰かける小さな木の椅子が、歩いてくるのです。「ナイ、イナイ、ドコニモイナイ…」たまらなくなって声をかけました。「どうしたの、誰がいないの? 誰をさがしているの?」
いま思えば、この小さな椅子の出現こそがその後の<直樹とゆう子の物語>のはじまりでした。椅子への問いかけ、カーテンを一枚一枚あげていくように未知の世界に踏み込んでいく。小さな椅子は私が求めたのではないのに、異界から歩み出て、私と原爆を出会わせてくれました。それが『ふたりのイーダ』という作品になりました。
『私のアンネ=フランク』もそうでした。トランプのカードが配られてくるように、つぎつぎとなにかが掌に渡されるのです。青森に残る鬼の目玉の話。ジュリーという歌手の腕につけられたハーケンクロイツなど、など。そしてある日、「アウシュビッツへ行きませんか」という友人からの電話。飛行機に飛び乗った私はアンネの日記を読みふけり、もしアンネが生きていたら私と同じ世代であり、私の娘はアンネが日記をつけはじめた同じ歳だとようやく気がついたのです。
そしてアウシュビッツの地獄をまざまざとこの目でたしかめ、アンネのかくれ家に立ち、帰途、霧のために立ち往生したロンドン空港のすり切れたじゅうたんに、避難民のように座り込んだとき、「書かなくっちゃ、書きたい」と思ったのです。偕成社の相原編集部長(当時)に手紙を書きました。「アウシュビッツを書こうなどと思ってもいなかったのに、アンネを知らない十三歳のゆう子と、アンネと同じ歳のお母さんからの手紙のかたちで『私のアンネ=フランク』が書きたくなりました…」
画家の司さんはゲラをパリで読み、アウシュビッツへ飛んでくれました。「ゴムまりが弾むようなゆう子の日々は、私たちの休憩室です。」読者からそんな便りもありました。読んでいただけたらと願っています。(松谷みよ子)