取材日記

ネグリア村での 撮影日記

2013/12/06

ルーマニアで伝統的な暮らしをしている村を見つけた長倉洋海さん。撮影をしたアナ・マリアたち家族との日々をお話ししてもらいました。

アナ・マリアの撮影がはじまった。初日の朝7時、アナ・マリアの家に到着すると彼女は就寝中。出稼ぎに行っているお兄ちゃんが買ってきたPCで友だちとのやりとりに夢中になって夜更かししたのかもしれない。それとも夏休みだからゆったりしているのだろうか。お兄ちゃんたちといっしょに寝ている部屋に声をかけると、アナ・マリアが寝ぼけ眼で起きだしてきた。

顔を洗い、長い髪をときだしたが、まだねむそうだ。お父さんとお母さんはもう畑仕事に出かけているから、おばあちゃんと朝食だ。でも、アナ・マリアはとても少食。「家族には『たくさん食べないから、大きくならないんだよ』とよく言われるの」とアナ・マリアは言う。朝食が終わると、鶏と豚へ餌やり。そのあと裏手にある畑で、みんなで食べるジャガイモやニンジンをおばあちゃんと収穫。家の床掃除もアナ・マリアの仕事。夕方、放牧中のフロリカを放牧地にむかえに行って、一日の仕事が終わる。

一足早く帰ってきたお母さんの料理ができあがるころ、一家がそろう。中庭のテーブルを囲んで感謝の祈りが捧げられる。全員で真剣に祈っている姿を見ていると、見ているこちらまで敬虔な気持ちになってくる。

アナ・マリアの生活を一通り撮ると、村を案内してもらった。丘の上のルーマニア正教の教会にのぼるとよく村が見える。なだらかな丘陵に点在する家は豊かな緑に包まれている。小道で出会う人はみなゆっくりとしている。あいさつすると、おだやかですてきな笑顔を返してくれる。ゆったりとした時間。これは都会では経験できないものだ。機械のスピードに追われるのではなく、作物や動物のリズムで生活できているからだろうか。「田舎と都会では天と地ほどちがう。環境も人間も」とお母さんのアウリーカが話す。

父親のバシレも母親のアウリーカも田舎の人らしい素朴さにあふれ、とても温かい感じがする。「お父さんは殴ったりしないし、いつも自然なのが好き。でも、お母さんとけんかするのを見るのはとてもいや」とアナ・マリアが言う(横にいたバシレが大慌てで「けんかではなく、大きな声で言いあっているだけだよ」と弁解する)。「お母さんはいつも私を見守ってくれている。お母さんは他の人を傷つけることをとても悲しむ」と話してくれる。バシレとアウリーカは子どもたちについて、「どこで生活しようと、よき人であってほしい。教会に行き、神に向き合い、いい人生を送れるようにいつも願っている」と話す。

一見、平和に見える村だが、どの家庭でも大なり小なり問題を抱えている。大きなキリストやマリア像を作って村の入り口や山の中に置いているガブリエルも、仕事がなく酒におぼれた息子と言い争いになることが嫌で、家を離れ、山中でマリア像の制作に打ちこんでいる。人というのはひとりでは淋しいし、大勢でいるとぶつかり消耗してしまう。人間はこの地上でいちばん勝手な動物なのかもしれないと思う。

別れの日、車のところまでみんなが見送りにきてくれた。アウリーカは、「明日からは来なくなるのね。寂しく感じるわ」と泣いている。バシレは少し悲しそうな面持ち。アナ・マリアは黙って小さな手を差し出してくれた。

こんな家庭で育ったアナ・マリアはきっとすてきな大人になるにちがいない。そのとき、また会ってみたいと思った。

文・長倉洋海

長倉洋海さんによる、世界のともだち①『ルーマニア アナ・マリアの手づくり生活』はこちら

 

長倉洋海

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1952年北海道釧路市生まれ。通信社勤務を経て、1980年よりフリーの写真家となる。以降、世界の紛争地を訪れ、戦争の表層ではなく、そこに生きる人間の姿を捉えようと撮影を続けてきた。『マスードー愛しの大地アフガン』で第12回土門拳賞、『サルバドルー救世主の国』で日本ジャーナリスト会議奨励賞、『ザビット一家、家を建てる』で講談社出版文化賞写真賞を受賞。著書に、『ヘスースとフランシスコ エルサルバドル内戦を生きぬいて』、『私のフォト・ジャーナリズム』などがある。

長倉洋海ホームページ

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