

町にねむる思い出と子どもたちがであったとき、
ごくふつうの公園ではじまる
5つのふしぎな物語。
キミコに植えこみの奥から声をかけてきたのは、草を編んだお面をつけた人。ふしぎなことをたのまれます。「草のお面」
マユがおじいちゃんと歩いていたら、グラウンドの真ん中に古い電話ボックスがありました。電話のベルが鳴りはじめます。「もしもし、もしもし」
ピアノのレッスンに気乗りしないナオキは、誰もいない公園でふしぎな女の子と出会います。「雪空ピアノ」
公園に集まった、たくさんの人。結婚式、それともなにかの撮影でしょうか。近づくと、おじいさんに声をかけられます。「アルバム図書館」
小さな翼をもつペガサスのメメに乗って、リョウタはどこかなつかしい場所へやってきます。「メメ」
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今では、「まほろ公園」という名前は知っていても、その意味がわかる人は、あまりいないかもしれません。
だいたい、まほろ公園で遊んでいる子のほとんどは、〝まほろ〟の意味を〝まぼろし〟のことだとかんちがいしているようです。
なかには「まぼろし公園」とよぶ子もいます。
文字が、にているからでしょうか。
それとも、ほんとうに〝まぼろし〟を見た人がいるからなのでしょうか……(本文より)
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<目次>
1 草のお面
2 もしもし、もしもし
3 雪空ピアノ
4 アルバム図書館
5 メメ
受賞歴:
まほろ公園があるここは、60年前の大水での大被害から復興を遂げた町。当時の思い出がどこかに流れ着いていて、その幸せを使って公園に来た子ども達を元気付けてくれる。そんな不思議を綴った短編集。「むかしと今はつながっている」 それは、単なる言葉ではない。人は過去の上に立つから生きていける。人だけではない。木も建物も土地だって過去によって支えられている。だから、60年前の洪水で命以外の全てを失ったこの町には、まほろ公園が必要だったんだ。失われたものが流れ付き、それを大事に大事にしまっておいて、必要な時に使ってくれる、このまほろ公園が。児童文学として、とても夢のある物語を体験すると共に、人を含めた全てには、過去、積み重ねてきた歴史が必要なのだと、あららためて実感した。(Net Galleyレビューより)
〝まほろ〟とは古語で、〝素晴らしい場所〟という意味だそう。でも、語感が似ていることから、〝まぼろし〟だと勘違いしている人もいるようで……。それって、ただの勘違い?本当に〝まぼろし〟を見た人がいるからなのかも……60年前に洪水で流されてしまった物に関わる短編が五作。古き良き昭和の時代の建物や街並みなど、今は亡きものたちに思いを馳せることになるので、どの物語も切なさや寂しさが漂う。それでも、優しく温かく、とても好きな話だった。流されてしまった物がたどり着く場所が本当にあったらいいなと思った。(Net Galleyレビューより)
その公園は、かつての災害で流されてしまったあれこれと不思議な力で繋がっていた―――。全体を漂う静けさと寂しさ、穏やかな優しさが心地よい作品集でした。こういう静けさを子ども達に味わってほしい。装画が小日向まるこさんだ!と思い何気なく手に取ったのですが、とても素敵な読書時間を過ごせました。不思議体験をするのが子ども達だけじゃないところも良い。(Net Galleyレビューより)
思い出や記憶は人を作るよすがだと、常々わたしは思っています。その意味では土地や場所にも、そのような蓄積がなされても何の不思議もないように感じるのです。この物語の舞台となる「まほろ公園」は60年前に洪水で町が流された時に、思い出たちがたどり着いた場所。時折見える不思議なものや人は、そんな思い出たちから立ち返ってくるのです。山茶花が咲き誇る神社の跡は、そんな思い出たちと繋がった人々と過去とを結びつける場所。時間は堆積し、過去は今と繋がっていることに安心もし、ちょっぴり寂しかったりもする。小日向まるこさんの挿絵がとてもいい味わいです。(Net Galleyレビューより)