





かつて、わたしが一度だけ行ったことのあるふしぎな谷のお話です。
まだ山が枯れ木におおわれる春の手前、林の中の尾根道を歩いていたわたしは、のぞきこんだ谷を見ておどろきました。そこだけが満開の桜にうめつくされていたのです。
聞こえてくる歌声にさそわれてくだっていくと、谷底で花見をしていたのは、色とりどりの鬼たちでした。鬼なのに、ちっともおそろしいという気がしません。まねかれるまま、わたしは花見にくわわります。目の前のごちそうは、子どもだったころ、運動会の日のお重箱に母がつめてくれたのとそっくりです。
「かくれんぼするもの、このツノとまれ」
ふいに、一ぴきの鬼がとなえると、鬼たちはたがいのツノにつかまって長い行列になりました。列の最後の鬼のツノにつかまったわたしは、かくれんぼの鬼をすることになります。わたしは、林の中をかけまわってさがすのですが、なかなか鬼たちをみつけることができません。
そのうちに、だんだんふしぎな気持ちになってきました。わたしがおいかけているのは、ほんとうに鬼なのでしょうか。だって、いま、あの木のうしろにかくれたのは、わたしのおばあちゃんのようでした。こっちの木のかげには、おかあさんが。そこの木のうらには、おとうさんがかくれました。それは、みんな、みんな、もうこの世をさってしまった人たちなのでした。
でも、そうか。みんな、ここにいたのか。桜の谷であそんでいたのか──。
そうわたしが思ったとき、風がふきわたり、谷じゅうの桜がいっせいに花びらをちらします。
気がつくと、わたしはひとりぽつんと雑木林の中に立っていました。満開の桜はきえていましたが、ヤマザクラの枝さきに、大きくふくらんだ花のつぼみが見えました。どこかで、あの鬼たちの歌声が聞こえるようでした。
受賞歴:
小学生への読み聞かせのための本を探しに図書館へ行って、この本に出会いました。とてもやさしい感じの題名、やさしい絵の表カバーで、手にとり読みたくなりました。懐かしい~そんな感じで、読み終わってやっぱりふわ~っと、逝ってしまった方達のことを思い出したりしてしまいました。(60代)
絵も文も素晴らしくて感動しました。読み終えた後、桜のお花に包まれているような、なんともいえない幸せな読後感に満たされました。ぜひ、また、富安さんと松成さんのコンビで本を作ってほしいです。(45歳)
静かな気持ちで、この何とも淡くてやわらかい色合いの表紙からページをめくって読ませていただきました。さくらを見下ろすページあたりから何だか目がぼあっとにじんでまいりまして、さくらが吹雪くページで、すーっと涙が流れていました。 …そうか。みんなここにいたのか。… 富安さんのおかきになりたかったことの詰まった、この一文に、私の心も全く、シンクロいたしました。大切な夢のお話を私たちに教えてくださって、ありがとうございました。(60代)
毎年桜の時期になると亡くなった祖父母や母のことを思い出します。あたたかい桜の絵とともに春のにおいが届きました。(読者の方より)
学校や図書館で絵本の読み聞かせをしています。朝日新聞の書評を読み、ぜひ拝見したいと思いました。夫が亡くなって半年が過ぎました。後悔ばかりがつのります。もう1度やり直すか、会えればと思います。この絵本のように、1度でも気配を感じられるといいですね。こんなことが起こることを祈っています。優しい気持ちになれました。(65歳・女性)
孫の本を買おうと手にとった本でしたが、帯の言葉とやわらかい絵におもわず買ってしまいました。私も数年前に夫と父を亡くしました。富安陽子さんは良い夢を見ましたね。すてきなお話でした。夫も父もちょうど桜の季節に亡くなったので自分の父や夫の話のように思えて、きっと夫も父もいろんな知り合いに会えただろうなと、ほっとした気持ちになりました。良い本をありがとうございました。(61歳・女性)
何度よんでも涙があふれてきて、会いたい人に会えたような気持ちになります。この本に出会えたことをうれしく思います。(読者の方より)