19世紀のポーランドの小説家(1814-1876)。詩人、教育者、フェミニズム運動の先覚者としても知られる。ワルシャワの貧しい地主階級の家に生まれるが、母親が彼女を産んで3日後に亡くなったため、東北部ポドラーシェ地方の親戚の家で育てられた。ワルシャワの女子師範学校を卒業後、23歳のときにザモイスキ伯爵家の家庭教師の職につく。この伯爵家一家とともにフランスに短期滞在中、11月蜂起後パリに逃れていた実兄エラズムに再会。この兄と、当時のフランス社会にみなぎっていた民主主義的な高揚感とに多大な影響を受ける。帰国後は学問に専念しつつ、多くの女性寄稿家がいた「科学評論」誌周辺で進歩的な人々との親交を深めてゆく。やがて進歩的な女性たちのグループ「熱狂者」を組織し、ポーランドにおけるフェミニズム運動の先覚者となった。1842年から49年には、その民主思想と謀反の疑いで他のメンバーとともに投獄される。出獄後は、女性の高等教育機関の実現に貢献した。ジミホフスカのもっとも有名な小説は『異教徒』(1846年刊)。心理的な洞察が深く、時代が抱えるさまざまな問題を客観的に描いた作品と評される。その他『追憶の書』『発信人、宛名人の不明な手紙』『白いバラ』(いずれも未邦訳)など。また生前には未刊だった作品や膨大な書簡も、没後、出版された。