1908年兵庫県神戸市に生まれる。旧姓名は笹子智江。文化学院美術部油絵科を卒業後、新井光子というペンネームでプロレタリア美術運動に参加。農村託児所での児童画運動などで活動する。1930年に八島太郎と結婚。反戦運動への弾圧が高まるなか妊婦の身で投獄され、釈放後に長男マコト(のちに俳優・マコ岩松として、ハリウッド及びニューヨーク演劇界で活躍)を出産。1939年に太郎とともに渡米し、美術学校に入学。戦後、長女モモ誕生。晩年はアメリカで日系人の権利獲得運動に尽力しながら精力的に絵の制作にとりくむ。1988年にサンフランシスコで死去。絵本の挿し絵に『いぬとにわとり』(石井桃子/作)がある。