
7巻めの『ネパール』のカメラマン、公文健太郎さんの取材日記、2回目は、ヤギのおはなしです。ヤギといえば……「アルプスの少女ハイジ」でハイジとなかよく遊んでいたり、黒ヤギさんからのお手紙を食べちゃったり、のんびりおだやかなイメージですが、公文さんがネパールでみかけるヤギは、そう甘くはないようです。
(ネパールの取材日記、1回目はこちら です)
ぼくとアヌスカには共通の苦手なものがあります。それはヤギです。いつもぼくが披露するヤギの鳴きまねを、アヌスカはおなかを抱えて笑ってくれます。でもぼくの鳴きまねは、ヤギなんて決してかわいいものではないと思っている人にしか笑えません。
ヤギの鳴き声はメーメーではなく、バーバーである、と知ったのはネパールに通いはじめてからのことでした。ネパールには街にも村にもそこらじゅうにヤギがいて、近くを通るたびに、草を食んでいた顔を持ち上げ、その鍵穴のような目でこちらをぎょろりと見つめてきます。すべてを見透かされているようで怖くなります。
それにあまりにも身近にたくさんいるせいか、こまったこともたくさんおこるのです。街でバスを待っていると、知らないうちにそばによってきていて足に糞をかけられたり、村ではカメラに顔を寄せてきてはよだれまみれにされたり、本当にこまった奴です。メーメーなんてかわいく鳴きません。バーバーと鳴くのです。
そんなヤギの声が、今日はいつも以上に迫力をまして聞こえてきます。ヴァー!ヴァー!
毎年秋に行われるダサイン祭。ヒンドゥー教ではとても大切なお祭りです。チャウコット村の小さなお寺は、たくさんの人々でにぎわっていました。街に出稼ぎに出ていた人たちも、村でダサインを祝うために帰ってきているのです。10日ほど続くダサイン祭のなかで、今日は神様にささげものをする日です。みんな、朝早くからヤギや鶏をつれて、お寺にあつまります。
ヴァー!ヴァー!という鳴き声は、人だかりの中から聞こえてきます。首に縄をまかれ、村人たちに引かれるヤギは皆、暴れ狂っています。ヤギたちはこの寺に祭られているガネシュにささげられるのです。いつもは憎きヤギも今日だけは少しかわいそうに思えます。
ガネシュが祭られている真っ暗なお堂の中では、ヤギや鶏が次々と絞められていきます。吹き出る血はガネシュの像にかけられ、真っ黒だった像は真っ赤なドロドロで覆われます。お寺を訪れていたアヌスカも怖がってお母さんにしがみつきました。
ささげられた動物たちを、村の人たちは大事そうに持ち帰ります。
朝のにぎわいが落ちつくと、家々からはおいしそうな匂いが漂います。捧げられたヤギや鶏が祭りをしめくくるごちそうへと変わったのです。肉も内蔵も血も、すべてがごちそうです。アヌスカも僕もお腹いっぱい食べました。
どんなにヤギが嫌いだろうと、どんなに朝の光景が怖かろうと、肉を食べられることは、子どもたちにとって、なによりうれしいことなのです。
文・公文健太郎
公文健太郎さんによる、『ネパール 祈りの街のアヌスカ』の詳細はこちらです。
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公文健太郎
1981年生まれ。1999年から、ネパールを舞台にドキュメンタリー写真を撮り続け、写真集やエッセイ、写真展などで発表。また、近年は世界各地にテーマを持ち、作品づくりを続けている。写真集に『大地の花―ネパール 人びとのくらしと祈り―』(東方出版)、『BANEPA―ネパール 邂逅の街―』(青弓社)、写真絵本に『だいすきなもの―ネパール・チャウコット村のこどもたち―』、フォトエッセイに『ゴマの洋品店―ネパール・バネパの街から―』(ともに偕成社)などがある。2012年日本写真協会新人賞受賞。