ふたりの紳士が入った山猫軒は、客への注文が多いという奇妙なレストランだった。重厚な木版画で描かれた賢治童話の愛蔵版。
1896年岩手県花巻市に生まれる。盛岡高等農林学校農芸化学科卒業。十代の頃から短歌を書き始め、その後、農業研究家、農村指導者として活動しつつ文芸の道を志し、詩・童話へとその領域を広げながら創作を続けた。1924年に詩集『春と修羅』と童話集『注文の多い料理店』を事実上の自費で出版するが、彼の作品のほとんどは、没後に高く評価された。1933年に37歳で病没。
1937年長野県に生まれる。1960年奈良女子大学文学部英語英文学科を卒業。いったん教職についた後、東京芸術大学美術学部彫刻科に入学して1965年卒業。以後、木版画で絵本をつくることを志し、1982年、『ヒマラヤのおうさまざる』(山主敏子・文)を刊行。作品に、『注文の多い料理店』など。