郷里を追われて三年余。次郎は朝倉先生の友愛塾で生活をする。塾の自由主義的精神は時代に反するもので、二・二六事件を契機に強まっていく軍国主義の中、解散に追いこまれる。
1884年佐賀県に生まれる。本名内田虎六郎。東京帝国大学卒業。1911年中学教師として教育界にはいる。1913年下村家の養子となり下村虎六郎となる。1931年台北高等学校長を最後に教職をはなれ、社会教育に専念した。中学時代より文学に興味を示し、高校、大学と雑誌の編集委員などをつとめた。「次郎物語」(全5部)の執筆に着手したのは1936年ころから。1954年に第五部を脱稿。1955年没。