五・一五事件批判が原因で朝倉先生は辞職を迫られる。留任運動をおこす次郎はストライキ派の馬田と道江をめぐって個人的にも対立する。やがて運動は、時勢につぶされるが…。
1884年佐賀県に生まれる。本名内田虎六郎。東京帝国大学卒業。1911年中学教師として教育界にはいる。1913年下村家の養子となり下村虎六郎となる。1931年台北高等学校長を最後に教職をはなれ、社会教育に専念した。中学時代より文学に興味を示し、高校、大学と雑誌の編集委員などをつとめた。「次郎物語」(全5部)の執筆に着手したのは1936年ころから。1954年に第五部を脱稿。1955年没。