カボチャで作った小人のマノーの家に、ある日、お腹をすかせた小さなこぶたの「レーズン」がやってきました。あんまりちっぽけなので、もとの家を追い出されてしまったのです。その日から、おとなの小人マノーと、小さなレーズンの二人暮らしがはじまりました。突然やってきた小さな同居人は、やんちゃでわがまま、いつもいい子にはしていません。でも、子どもらしさにあふれた無邪気なレーズンを、マノーはいつもおおらかな愛情で包みこみます。
––––「こんな小さいこぶたのめんどうをみるのは、たいへんだろう。だれにでもできることじゃないよ。」
と同情するカラスに、マノーはこんなふうに答えています。
––––「ひとりですむのだって、らくじゃないさ。それに、だれかといたら、それだけで、たのしく時間がすぎるもの」
レーズンとマノー、二人のおかしな毎日を描く、ハンガリーの愛らしいおはなし!
1922年ハンガリーのアドニ生まれ。幼少の頃から物語を書くのが好きで、14歳のとき雑誌で連載をもつようになり、19歳で長編小説を発表する。ウィー ンでイラストレーションとデザインを学んだ後、新たに設立されたハンガリーのテレビ局に入局。脚本家・演出家として30年近く勤務し、ハンガリーの子ども 向けテレビ番組の基礎を築いた。その傍ら執筆活動にも力を入れ、児童文学者としても活躍。外国語にも長け、『ぞうのババール』ほか翻訳書も多数。聖イムレ 賞、ヨージェフ・アティッラ賞など数多くの賞を受賞。日本で翻訳されている作品に『犬のラブダとまあるい花』『とんぼの島の いたずら子やぎ』がある。2008年に逝去。
1924年ハンガリーのブダペスト生まれ。ハンガリーを代表する人形デザイナー。最初は音楽や演劇を学び、のちに人形や舞台デザイナーとして活躍。 1951年から国立人形劇場にたずさわり、ハンガリーで初めてのテレビ・人形アニメ「MAZSOLA(レーズン)」の人形デザインを担当した。本作ではイ ラストも担当した。1968年パリへ移住。
1979年静岡県生まれ。大阪外国語大学(現、大阪大学)比較文化・ハンガリー語専攻卒業。現在、ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学(通 称:ELTE)日本学科で日本語教育にたずさわりながら、翻訳や子どもの本関係のコーディネーターとして、ハンガリーの文化や絵本の紹介につとめている。 訳書に『犬のラブダとまあるい花』『とんぼの島のいたずら子やぎ』『もりのたいしょうははりねずみ』『ふたごのベルとバル』「こぶたのレーズンのおはなし」がある。
東欧の国ハンガリーから届いた、かわいらしい幼年童話です。
表紙に見える、ものほしげな上目づかいのコブタの名前は「レーズン」。ちっぽけで緑色、まるでほしブドウのようだから、「レーズン」です。
このレーズンが、ある日こびとのマノーの家を食べてしまう(マノーの家はカボチャなのです)ところから、お話は始まります。心優しいマノーは、みすぼらしいコブタを家に招き入れ、いっしょに暮らすことにしました。さあ、それからの毎日ときたら、もう大変。マノーは四六時中、やんちゃでわがままなレーズンに振り回され、大忙しです。でも、ふと一息ついたとき、マノーはこう言うのです。「一人で住むのだって、楽じゃないさ。それに、だれかといたら、それだけで、楽しく時間が過ぎるもの」。
この心温まる物語を、どうぞ多くの方が味わってくださいますように。 皆さんと、レーズンの愛らしさ(まさに幼い子どもそのもの!)を共有し、語り合えたら、とても嬉しく思います。そうそう、それから表紙の絵は画家のブローディ・ベラさんが日本語版のために描き下ろしてくださったものです。こちらもぜひご注目くださいませ。
とってもかわいい緑のこぶた・レーズンのとりこです。「うぃうぃうぃ」と鳴く姿も、「マノーちゃん!」と構って欲しがるところも、ちょっぴりわがままで自分勝手な所も大好きです。挿絵がまた内容にぴったり。涙をぽろぽろ流す姿は、思わずレーズンをぎゅっと抱きしめたくなりました。(20代)