かこさとしさんスペシャルインタビュー第1弾

かこさとし(加古里子)
1926年福井県武生市(現在 越前市)に生まれる。1948年東京大学工学部応用化学科卒業。工学博士。技術士(化学)。
民間化学会社研究所勤務のかたわら、セツルメント運動、児童会活動に従事。1973年会社を退社した後は、児童文化と児童問題の研究のかたわら、テレビのニュースキャスター、大学講師、海外での教育実践活動などに従事。また児童文化の研究者でもある。
作品は、物語絵本、科学・天体・社会関係の知識絵本、童話、紙芝居など多岐にわたり、500点以上。
主な作品に「かこさとしおはなしのほん」シリーズ『ピラミッド』『うつくしい絵』(偕成社)、「だるまちゃん」シリーズ『かわ』『海』『とこちゃんはどこ』『万里の長城』(福音館書店)、「かこさとしからだの本」シリーズ(童心社)、『伝承遊び考』「こどもの行事しぜんと生活」シリーズ(小峰書店)などがある。
1963年サンケイ児童出版文化賞大賞、2008年菊池寛賞、2009年日本化学会特別功労賞、神奈川文化賞、2011年越前市文化功労賞、2012年東燃ゼネラル児童文化賞などを受賞する。
2013年春、福井県越前市に「かこさとしふるさと絵本館 砳(らく)」がオープン。

かこさとしさんのアトリエにおじゃまして、『からすのパンやさん』が生まれるまで
のお話や、つづきのおはなしについて、また絵本の創作への思い、子どもたちから学んだことなど、たっぷりお話をうかがってきました!
動画も合わせておたのしみいただけます!

『からすのパンやさん』とつづきのおはなしついて

描いてはだめだ、描いてはだめだと
いつのまにか40年もたっちゃった

1973年に刊行され、2013年で40周年を迎える『からすのパンやさん』。
いまもロングセラーの絵本として多くの読者の方に読まれ続けている絵本ですが、この絵本が生まれたきっかけを教えてください。

私は学生時代、工学部に在学していたのですが、なにをまよったか演劇研究会に入ったのです。そのとき同じ演劇研究会に入っていたぼくの中学の先輩が、学生のときに結婚されたのです。学生だからなにもないので、絵本でも描いて贈ろうかと、からすのお話を描いて贈ったのです。話の内容は、単純に、男の子と女の子のからすがワァーワァー山に向かってやっていたというので大騒ぎになって、よくきいてみたら、「やまびこ」のひびくのが面白くてやってたというものです。

彼はとても喜んでくれたんだけど、これをセツルメント()の活動で子どもさんたちにやろうとしたときに、こんな単純じゃだめだと思ってね。紙芝居かなんかやっても、つまらなかったらいなくなってくれるんですよ。これがいいところでね。ちゃんといてくれりゃあ、これはしめたもんです。いてくれると、非常にいい返事がくるのです。もういっぺんやれ、とかこの続きはどうするんだとか。

それで、彼らになんとかこのからすのお話をと思って、あんなすじにしたんです。それがわりと反応がよかったのですけれども、それを当時の偕成社の社長さんと編集長さんが、なにか絵本の種になるものはないんですかと来られたときに、走り描きの紙芝居をおみせしたら、これいただきますというので、それが元になったのです。

そんな経緯があったのですね!どうして、からすだったのですか?
からすに対するなにか、かこさんの想いがおありになったのですか?

宮沢賢治の詩に、「烏百態(からすひゃくたい)」といって、からすが歩いたり、ついばんだり、飛び立ったりというのがあって、これがなかなかいいなあと思っていたけど、詩だから、子どもさんと展開するにはちょっと難しいかなと思っていました。それがからすを描こうと思ったきっかけというところですね。

『からすのパンやさん』に出てくるずらりと並んだたくさんのパンをはじめとして、かこさんの絵本は、子どもがうれしいなと思うものをたくさんみせてくださいますね。

私としては、どれも一生懸命描いたつもりですけど、そのなかでも子どもさんがよく読んでくださるものと、そうでないものと、差がでてきます。それで、私はそのなかで考えさせていただいて、これは子どもさんが、子どもさん自身の、期待とか、自分の夢やなんかが、この絵本の中にあると思って読んでくださっているのだと思ったのです。逆にいうと、たくさん読んでくださっているからと、にこにこしているだけではだめだ、申し訳ないと思いました。子どもさんが示してくださった、ここのところがいいんだという箇所、そのひとつひとつの説明なり、詳しい理屈を、特に子どもさんが語ってくださるわけではないけど、この本を喜んで読んでくださっていることが気に入ったところで、「おまえは勉強しろよ」「この線でみてやったんだから」といっているわけです。それで、一生懸命考えたのですね。

それで、いまいわれたように、たくさんのパンが出てくるのが好きだ、という感想をたくさんのお葉書でいただきました。でも、考えてみるとたくさん食べものを描けば喜ぶかというと、そういうわけじゃないのです。要するに、これから生きていこうとする子どもですから、生きてくためには、食べものというのが大事だ。でも、その食べものを、食べるだけでははなくて、自分の好きなものへとか、自分の好みのものへ、もっと発展させたいと思っている。生きていくために、プラスになるようなものが欲しいのです。

たくさんのパンのページの後、パンが焼けたのを、火事だととんちんかんな大人が勘違いして大騒ぎになりますが、大切なのは、事件の内容が子どもさんの理解のできる範囲であることです。理解のできない急な爆発だとかではないのです。この点を取り違えると、何でも事件さえやればよい、あるいはにこにこ面白いものを、ひっくりかえってゲラゲラ笑えばいいものを描けばいいのだとなりますが、そういうわけではないのです。

子どもさんはちゃんとこれから生きていくために、まわりの大人がどんなことをやっているか、この中で自分のプラスになるものはどれだろうと思って、まわりの世界からいろんなものを得よう得ようと、密かに思っています。それをくださいとはいわないのだけれども、密かに思っているのです。それで、合うものだけは頂戴するけど、合わなかったらポイよ、と。情け容赦もなくポイよ、と。さっきちょっといったように、つまらなかったらすぐいなくなってくれるんですよ。徹夜して紙芝居やなんか描いても、徹夜だろうがなんだろうが、つまらなかったらおよびでないよと。でも気に入ったものなら、ちゃんとみてる。そういったことを子どもさんから教えられた訳です、全部。それはとてもありがたいと思ってます。

その『からすのパンやさん』の続編が40年ぶりに刊行されますね。

からすさんの続きを、なんとかして描けといわれることも多くて、続きを描きたいのだけれども、どうしたら子どもさんの要求をかなえながら続きができるかなと思っていました。ただ続ければいいというものではないから。それで、描いてはだめだ、描いてはだめだと、途中まで描いては、また他のお仕事がくるものだから、そのままになって、いつのまにか40年もたっちゃった。

『からすのパンやさん』を描かれてからすぐに、続きのお話を描くことを考えられていたのですか?

しばらくたってからです。子どもさんからいただいたはがきは全部とって、表にしてあるんですよ。なにを要求されていたか何を望んでおられるか、ということを知るために。続きのことをいろいろ考えてやってみたけど、うまくいかなくて。20年たったときに、ようやく大体この線でいこうかなと思っていたのですが、なかなか全体がまとまりません。それで、いまから10年くらいまえに、やっと全体ができたの。40年たったから、からすが40歳になったのではつまらないので、その後、どういう風に大人になっていくのか、というのを考えた。子どもさんは自分をからすに託しているのかもしれない、と思ったものですから、からすのほうの成長を、子どもさんの成長に合わせて、最後はめでたく相手をみつけて結婚式になった、というのを1羽くらいはしようと思ったのですけど、そのうちにみんなに連れ合いができちゃって。(笑)

あの小さな4羽のからすだった子どもたちが結婚をするというのが、とても感慨深いです!
なにか結婚というものに、かこさんの子どもたちの将来への願いが込められていますか?

子どもさんには未来があります。しかも男の子ばかりの世界ではなくて、幼児といえど必ず女の子がいること。この世間のなかで「どういう生き方をしていくか」というのが大切で、われわれ老人みたいに、あとは死ぬだけという人間とは違うわけです。だから、これからの生きていくことにプラスになるようなことをと考えていた。それも教訓話ではぼくもいやだから、教訓ではなくて、楽しさを伴いながら、それから子どもさんの理解の範囲内のものをつづりながら、子どもさんに喜んでいただけるものをと思って。最後は「めでたし」になったほうがいいだろうと。そういう終わり方にぼくも憧れていたので(笑)、それを描いたということです。

『からすのパンやさん』もそうでしたが、今回の新刊4点も、主軸のストーリーの裏に経済の基本や、商売の話があったり、また絵の中には小さな学びや気づきの要素がいっぱいつまっていますね。

子どもさんというのは、案外主軸のメインのストーリーというのは、わかるように描けばもちろんわかってくださいます。でも、そうではない副次的な添えものやコラムみたいなもの、こちらが伝えたいと思ったことも、この本がおもしろいと思ったら全部感じてくれます。ここが大事だからご覧なさいよとわざわざ描かなくても、しっかりわかってくださいます。

よく批評で、かこさとしという作者は、本のストーリー以外の余計なものを描くので喜ばれるんだという言い方をされるけど、ぼくは忙しい身だから余計なものを描いた覚えはひとつもない。必ず、全部必要なこと。ストーリーをただ描けばいいというものではないのです。たとえば、アリの行列にしてみても、アリの行列があれば喜ぶかと判子で押したように描いたって、子どもさんは全然みてくれない。でも一匹一匹の性格があるように描くと、これは面白いぞと、細かいところも、隅から隅までみてくれます。

『おたまじゃくしの101ちゃん』のとき、ちょっと余白のために、描きのばしをして、110匹になっていたのですよ。そうしたら全部数えた子どもさんがいてね、101ちゃんっていうくせに、100なんちゃんまであるよと、どうしてですか、と質問がきました。いやあーまいったなと。そんなのは子どもさんしかいわない。それで、あわててそこのところ削ってもらった。

そんなふうに、子どもさんは、面白くなったら全部細かくみてくれる。ただ細かく描けばよろこぶのではなく、気に入らなきゃだめなんですよ。気に入ってくださったならば、細かいところまでとにかくじっくりみてくれる。それが子どもさんのすごいところ。ぼくはこれがおもしろかったんだから全部みてやるぞと。こういう人はね、大人にはまずいないの。

会社にくるお便りでも、絵のまちがいなどの指摘は子どもたちからが多いです。

それだけみてくださるというのは、作者としてはありがたい。子どもさんというのは、自分の気に入ったところ、あるいは周りの大人がやってくれることから、いろんなことを学びとろうと、それで、生きていこうという存在なんです。だからそれに応えることをしていれば、必ずとっていってくれる。それを提供しないのでは、大人のほうが悪い、さぼっていると思う。それが、子どもさんから教えられたことなんです。

かこさとしさんについて

子どもを囲む全部を、社会のしくみなり、
いろんな状況をよくしなければいけない

かこさんはもう、60年近くずっと絵本を描かれているということですよね。
まだまだ現役でやろうというエネルギーはどこからわいてくるのですか?

好きだから描こうという人もいらして、それもとてもすばらしいことだと思うのですが、ぼくはそういうことでしているわけではなくて、恥ずかしい話ですが、皆さん方にいまこうやってお目にかかるわけではない人間、昭和20年に死んでいたはずの人間なのです。家が貧乏だったので、この先、なにかいい仕事をしなくては、そのためには良い学校へいかなければ、というところまでは自分でわかりましたが、学費をだしてもらえそうにない。それで、ただで入れる学校に、ということで、軍人になるのが一番よかった。その当時飛行少年だったので、飛行機が好きで、漫画を描いたり、模型をつくったりしていたのですが、ちゃんとした航空士官になるためには、漢文などは役に立たないと、理科、数学だけは一生懸命やった。ところが、視力、近眼が進んで、受験もさせてもらえなかったのです。目のいい人は飛行機乗りになり、戦争のとき特攻機でほとんど死んでしまいました。

ぼくも本当は、目がよかったら、死んでいる人間なので、よかったね、という人もいるのですが、それは違うのです。親には最後許可を受けましたが、自分で判断したわけですよ。世の中が軍国主義になったので、私のせいではないという人もいますが、ぼくは自分で判断したので、だれが悪いかといえば自分が悪かった。本当は外国の事情とか、経済とかの見地から、世の中がどういうふうになるのか、自分の将来は自分のそれにあっているのか、と判断する力をもっていかなければいけなかったのに、間違った判断をした。死んで当然だと思いました。だから昭和20年以降は、こんなことはこの後につづく子どもさんたちにあってはいけない、こういうことは、もうぼくでおしまいにしたいと思いました。

大人たちに頼って育つというのは、3歳くらいまではしょうがない。3歳過ぎたら、自我が出てきて、15歳になったらもう元服ですよね。いまでも15歳といったら男女とも、生きものとして十分なので、そこからはもう自分の判断でやるのがいい。家や親がやってくれなかったから、という言い訳は通用しない。自分でやらなければいけない。子どもさんたちが、自分でしっかりできるようになるためのお手伝いをしようと思ったわけです。それくらいしかもう生きている意味がないと。

理科関係のほうに進めば、多少世の中のお手伝いになるだろう、と会社に入りました。それはそれなりにやりがいはあったのだけど、いつかは子どもさんのためになるようなことを、プラスになることをできないかなと思って、少しずつその間に勉強させてもらっていました。55が定年だったから、10年早めて会社をそこでやめようとしましたが、いろんなことがあって3年ぐらい遅れて退職しました。

それで本腰をいれて子どもさんのためになることをしようとしました。でもそれは、絵本だけではないのです。子どもさんという生きものですから、本だけりっぱなものを描けば全部よくなる、というわけではなく、子どもを囲む全部を、社会のしくみなり、いろんな状況をよくしなければいけない。そういうことのプラスになるようにと、児童問題をやりました。子どもさんというのは生きものだから、行動にすべて出るんですよね。その行動をよく観察すれば、まわりの指導者や親御さんなどがどうであるかがみえる。

だから、いじめとか問題になっている、というのは恥ずかしいですね。あれは、よく子どもを観察していたけど、わからなかったということなんだと。本当は観察している人がいないということですよ。先生は何やってたのかと。忙しいのは知っているけど、まずいですね。導くというのは観察から導くのに。そういう教育の問題について申し上げたいことはいっぱいあるけど、その一つとして、絵本を描いているということです。

最後にこれから未来を生きていく子どもたちにメッセージをお願いします。

子どもさんの関係の仕事に携わって、少なくとも描いたりするものは、子どもさんに与えるものだから、子どもさんたちが活躍する20年後にも通用するものをと、先をみこして描いています。それがぼくにとってとても勉強になった。現代のことはもちろん知らなければいけないけれど、20年後の世の中、地球上のことがどうなっているか考えねばなりません。ぼくの計算では2050年、地球上には100億の人間がいる。でも植物が足りないのです。生きもの由来は全て植物です。でもみんな人間の場になってしまって、植物を植える場所が足りなくなる。だから人類はもうこれ以上増えてはいけないという計算になる。それを考える人はあまりいないですね。そこらへんも考えていかないと、とても難しい時代になる。だからそのためには、もっともっと役に立つような、本当に人類に役立つのはなにかと、いうのを考えた学問、政治、科学をしないと駄目という気がします。我々の世代では達成できない状況ですから、託すとしたら、いまの子どもさんがうんとがんばって、よく考えて、我々をこえていって欲しいですね。

昭和20年から思いがけず長生きさせて頂きましたが、生物ですから当然、目は悪くなるし物忘れはするし、順調に老化鈍化の道をたどっています。間違った判断をしたつぐないを少しでもしたいと思ってきましたが、そんなことをしないかしこい子になって、未来をひらいてゆくように祈念しています。そういうかしこい子を自らの生活と態度で応援する、かしこい大人になって下さるよう心から願っています。

*セツルメント活動:学生などが貧困地区に対して、金品を与えて救済をするのではなく、宿泊所、託児所などの設備を設け、住民の生活向上と自立のための助力をする社会事業。