取材日記

はじめてのバングラデシュ その1

2014/03/21

きょうの取材日記は、⑨巻め『バングラデシュ』の石川直樹さんです。『バングラデシュ』の主人公、アシフに出会う前、はじめてバングラデシュを訪れたときのお話です!


初めてバングラデシュに入ったのは2年前の夏である。インドのダージリンから陸路でバングラデシュに入国した。

ダージリンからスィリグリという街を経由して、インド側の国境の街、チェンドラバンダへ。インドのコルカタからバングラの西へ入るルートはポピュラーなのだが、バングラ北部のブリマリ国境は、多くの人が越境するような国境ではない。果たして本当に国境越ができるのか不安を残したまま、チェンドラバンダに到着してしまった。

傾いた掘っ立て小屋が一つあり、そこがチェンドラバンダのイミグレーションであった。まったくイミグレには見えないボロい小屋だが、一応係官がいて、対応してくれる。ここでインド出国のスタンプをパスポートに押してもらい、歩いて国境を越えた。

アジアやアフリカの国境地帯には、不思議な輩がいる。どういう仕組みになっているのかわからないが、国境を自由に行き来する男たちがいるのである。彼らは代わる代わるぼくの前に現れては、「両替をしないか」とか「ダッカ行きのバスがある」などと声をかけてくる。こうした人々についていってロクなことがないのは、今までの経験上よくわかっていた。大抵はボラれたり、商売に利用されるだけである。「いやいや、大丈夫だから」と彼らに言い放ち、今度はバングラデシュ側のイミグレに行って、バングラ入国のスタンプを押してもらった。

先ほど両替を断ったことが、のちのちまずいことになるなど思いもしなかった。どこかの銀行ですぐに両替できるだろうし、お隣同士のバングラデシュなのでインドルピーも使えるに違いないと踏んでいたが、その後、銀行は見当たらず、インドルピーの使用もことごとく拒否されてしまうのだった。

バスを乗り継ぎながら、とにかく南へ、ダッカを目指した。途中、目だけ出したスカーフを頭からすっぽりかぶった女性たちがバスに乗り込んできて、「ああ、イスラム圏に入ったんだな」と実感する。

イスラム圏への訪問は久々である。高校二年のときにインドのカルカッタ空港に降り立ったときの衝撃も大きかったが、その後2002年にインドのアムリトサルから今回と同じように陸路で国境を越えて、イスラム圏のパキスタンに入ったときの衝撃は大きかった。

パキスタンでは、なにしろ街に英語もローマ字も何一つも見あたらないのだ。どこの国に行っても、ローマ字の看板くらいはあって、たとえ言葉がわかなくても読むことはできた。しかし、インドからパキスタンに一歩入った途端に、看板もすべてアラビア語になり、英語が全く通じなくなる。そして、男性はみなシャルワールカミースというパジャマのような白っぽい服を着ていて、ぼくのような格好は、皆の好奇の視線を一気に集めることになった。国境を越えただけで、これほどまでに文化やルールが変わるのか、と身をもって知った。あれは驚きを越えて、恐怖に近い体験だった。

バングラデシュはパキスタンほどの衝撃はなかった。ベンガル人の多くは、ルンギーなどを腰に巻いた普通の格好をしており、シャルワールカミース姿はそんなに多くない。看板も英語の文字がちらほら見受けられる。ネパールやインドとそんなに大きな違いはなく、自分の許容範囲を超えてはいなかった。

つづく
写真・文 石川直樹

『バングラデシュ』刊行を記念して、
石川直樹さんと編集長の島本脩二さんのトークショーを開催します!
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http://tsite.jp/daikanyama/event/003341.html

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石川直樹

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1977年東京生まれ。高校2年生のときにインド・ネパールへ一人旅に出て以来、2000年に北極から南極まで人力で踏破するPole to Poleプロジェクトに参加。翌2001年には、七大陸最高峰登頂に成功。その後も世界を絶えず歩き続けながら作品を発表している。その関心の対象は、人類学、民俗学など、幅広い領域に及ぶ。著書、写真集多数。2011年、土門拳賞受賞。

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