エリック・カール スペシャルサイト

エリック・カールについて

プロフィール

エリック・カール(Eric Carle)

1929年、ドイツ人の両親のもとに生まれたエリック・カールは、アメリカ・ニューヨーク州で6歳まで育ち、その後ドイツに移住します。やがてはじまった戦争により、少年期は自由にアートを描いたりみたりできない環境にありましたが、カールの絵への情熱をみてとった学校の先生が、ナチスに禁じられていたピカソやマティスの絵を一度だけみせてくれたことがありました。色彩にあふれたアートを目にしたこの経験は、のちのカールの人生に大きな影響をあたえます。

16歳で、シュツットガルトの美術アカデミーに入学。卒業後、アメリカにもどり、レオ・レオニ(『あおくんときいろちゃん』などの作者)の紹介で、ニューヨーク・タイムズ紙にグラフィック・デザイナーの職を得ました。

絵本作家としてあゆみはじめたきっかけは、デザイナーとしての仕事をみてほれこんだビル・マーチンの依頼で、『くまさんくまさんなにみてるの?』(ビル・マーチン 文/1967年刊)に絵をつけたことでした。すぐに、カールは絵本づくりにのめりこみ、1968年にはみずからの絵本『1、2、3どうぶつえんへ』(ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞)を発表。その翌年には、『はらぺこあおむし』を刊行しました。小さなあおむしがちょうになるまでを描いたこのうつくしい絵本は、カールの代表作となり、現在、世界60以上の言語に翻訳され、累計発行部数は4400万部にのぼります。

日本では『パパ、お月さまとって!』『だんまりこおろぎ』『たんじょうびのふしぎなてがみ』『できるかな?あたまからつまさきまで』など、40作近くの絵本が翻訳され、多くの子どもたちに親しまれています。

2003年にローラ・インガルス・ワイルダー賞を受賞。2002年には、アメリカ・マサチューセッツ州に〈エリック・カール絵本美術館〉を創設し、カール作品のみならず、国内外の優れた絵本の原画を幅広く収集、さまざまな絵本の企画展を開いています。

2017年には「エリック・カール展」(世田谷美術館)の開催にあわせて来日し、日本の読者に元気な姿を見せてくれました。

2021年5月、マサチューセッツ州の自宅のスタジオで、家族に見守られながら91歳で逝去されました。

カールさんからのメッセージ

 日本のたくさんのみなさんが私の絵本を楽しんでくださっているのを知って、とてもうれしく思います。また、郵便や、ウェブサイト経由のメールでいただくお手紙には、とても感謝しています。

 私はこれまでに5回、美しい国日本をおとずれました。いずれも胸おどる体験で、たいへん影響を受けました。この思い出は、いつまでもわすれないでしょう。

 みなさんは、『はらぺこあおむし』という絵本が生まれたいきさつをごぞんじですか?
 1960年代の後半、私の本の編集者アン・ベネデュース女史がまだ出版のきまっていなかった『はらぺこあおむし』のラフスケッチをたずさえて、日本をおとずれました。アンは当時、アメリカでこの本を印刷・製本してくれる印刷所をみつけられずにいました。そうしたら、偕成社の今村廣氏*が、日本でひきうけてくれるところをみつけてくれたのです。

 偕成社のこうした惜しみない努力と変わらぬ支援、そして熱意に、私は心から感謝しています。

 日本じゅうの、そして世界じゅうのあらゆる世代の人々が、これからも私の絵本を楽しんでくれますように。

感謝をこめて

エリック・カール


*2代目社長。当時は専務。

創作のひみつ

エリック・カールさんが描くカラフルであざやかな美しい絵。実は薄紙をつかって特製の色紙をつくり、それを切り貼り(コラージュ)して描かれています。ここでは、そのようすをご紹介します!

1
半透明の薄い紙を用意します。
つかう絵の具はアクリル・水彩・ポスターカラーなど。
2
力強く色をぬります(ときどき紙を少しもちあげるとくっつきません)。ぬりおわったら新聞紙の上などでかわかします。
3
別の色の絵の具で、いろんなもようを描いていきます。波もようと、てんてん と……。筆じゃない道具で描いても楽しい!
4
たくさんもようを描いたら色紙のできあがり!
5
1〜4のようにつくった薄紙の上に、おあむしを描いた透ける紙(トレーシングペーパーなど)をのせて、いっしょに切りぬきます。
6
切りぬいた薄紙を、場所を考えながら画用紙に貼っていきます。おなじ緑色でも、薄紙のちがう場所をつかうと変化が出ておもしろい!
7
目や鼻などもつくって貼ります。だんだん姿が見えてきました。
8
クレヨンや色えんぴつで毛を描いて仕上げ! サインを入れたら……
9
はらぺこあおむしのできあがり!