小学4年生の融は、ポケットのおさいふをぎゅっとにぎりしめていた。おさいふの中には、さっきもらったばかりの500円玉が入っている。今月のおこづかいだ。
「これは使わない。絶対に使わないぞ」
さっきから呪文のようにくりかえしいっている。というのも、今、融にはすごくほしいものがあったからだ。
人気アニメのモンスターのメダルコレクションだ。金貨10枚、銀貨30枚のセットで、それぞれのメダルに超かっこいいモンスターのすがたがきざまれている。
メダルコレクションは2000円。融のおこづかいは毎月500円だから、4か月、むだづかいをがまんすれば、買える。
だが、そのがまんがなによりもむずかしいのだ。
そう。これが融の悩みだった。
お菓子やジュース、マンガなど、ちょっとでもほしいと思うものがあると、すぐに買ってしまうのだ。おさいふにお金があると、後先考えず使ってしまう。そして、すぐにもっとほしいものができて、頭をかかえるはめになる。
もらったおこづかいを、すぐに貯金箱に入れてしまえばいいのに、それもできない。なんとなく、おさいふの中にしまっておかないと、気分が落ち着かないのだ。
だから、母さんからもらった大きな貯金箱はいつもからっぽで、ちっとも貯まらない。「あの200円があったら……」とか、「あのとき、あの500円を使わなければ……」と、後悔ばかりたまっていく。
「もっとおこづかいふやしてよ」
父さんたちにねだったこともあるが、「お金のやりくりを勉強させるために、おこづかいをあげているんだよ。おこづかいが少ないと思うんじゃなくて、むだづかいをやめなさい」と、きっぱりいわれてしまった。
融だって、むだづかいをやめたいとは思っている。それは本当だ。だって、心からほしいものを買えないのはつらいから。
「今度こそ。今度こそ、絶対使わないからな。絶対、メダルを買うんだ」
図書館へむかいながら、融はずっと心の中でとなえつづけていた。そして、お金のことばかり考えていたからだろう。うっかり、道をまちがえてしまった。
気がつけば、融は見おぼえのないうすぐらい路地に立っていた。まわりにはだれもいなくて、小さな駄菓子屋が1軒、目の前にあるだけだ。
いかにも古びたたたずまいの駄菓子屋だった。周囲にただよう空気まで、昔のにおいがしそうだ。なのに、ならんでいる駄菓子やおもちゃはすばらしかった。
「ビーバーチョコバー」、「日記ニッキ」、「守らニャイト」、「虹色みずあめ」、「良い子のきなこ」、「アイディアあんこ」、「うるわしシュークリーム」、「はてな?バナナ」。
どれも見たことないものばかりで、おまけに、きらきらと光って見えるほど魅力的だ。
「なにも買わないぞ。見るだけ。ほんのちょっと見るだけだから」
自分にいいきかせながら、融は駄菓子屋に入った。そして、ほしいものを見つけてしまったのだ。
それは小さな茶色のおさいふだった。ぱちんと、留め金で止めるがま口だ。
がま口なんて、おばさんが使うものだと、融はなんとなく思っていた。だが、このがま口は変わっていた。カエルの顔の形をしているのだ。留め金が口で、開くと、ぱかっと、カエルが大口をあけるように見える。ぎょろりとしたボタンの目玉もついているし、なんとなくおもしろい。
とにかく、一目で気に入った。気に入ったどころか、胸がどきどきしすぎて、息もできなくなる。
ほしい! これ、絶対おれのだ。おれのものになるべきなんだ。
と、赤紫色の着物を着た、おすもうさんのように大きなおばさんが店の奥から出てきた。髪が真っ白なのに、不思議なくらい若く見える。髪にさしこんだ色とりどりのガラス玉のかんざし、赤い口紅をぬったくちびるが、くっきりとあざやかだ。
そのおばさんは、融に歌うようにささやいた。
「『銭天堂』にようこそ、本日の幸運のお客様。もうほしいものはお決まりのようでござんすねえ」
「う、うん。このがま口なんだけど」
「ふふ。お目が高いこと。ついついむだづかいしてしまう人には、この『きっちりがま口』はぴったりの品でござんす。なにしろ、お金を守るがま口でござんすからねえ」
「これを持ってると、むだづかいをしなくなるってこと?」
そんなこと、あるわけないじゃん。融は鼻で笑おうとした。
でも、できなかった。おばさんがまじめな顔でうなずいたからだ。
その瞬間、わかった。このおばさんのいっていることは本当なんだ。
息をつめている融に、おばさんはささやいた。
「本日、『銭天堂』の品物はすべて、500円でござんす。お買いあげ、なさいますかえ?」
もちろん、融は「きっちりがま口」を買った。絶対に使わないと決めていた、大事な大事な500円玉を払って。
これでまた、すっからかんだ。またメダルコレクションを手に入れるチャンスが遠のいてしまった。
いつもだったら、猛烈に後悔していたことだろう。でも、この「きっちりがま口」を買ったことには、まったく後悔をしなかった。むしろ、見れば見るほど、「買えてよかった!」と、よろこびがこみあげてくる。
思わずがま口をだきしめる融に、駄菓子屋のおばさんはささやいた。
「そのがま口の使い方でござんすが、まずは本当に買いたいものの名前を紙に書いて、がま口の中に入れてくださんせ。そのあとは、ふつうにお金を入れればようござんす」
「それが使い方?」
「あい。そうしておけば、本当にほしいものを買えるまで、この『きっちりがま口』がお金を守ってくれることでござんしょう。しっかり、きっちりとねえ」
うふふと、意味ありげに笑うおばさん。
融はとにかくお礼をいい、駄菓子屋を出た。そして図書館に行こうとしていたこともわすれ、そのまま家に帰った。
自分の部屋で、「きっちりがま口」を心ゆくまでながめた。このカエル、おもしろみのある顔をしていて、本当に気に入った。ポケットにちょうどいい大きさだし、ちょっとざらざらとしている表面も、手になじんで持ちやすい。
「あ、そうだ。教えてもらった使い方っていうの、ためしてみるか」
融は小さな紙に「モンスターメダルコレクション」と書き、ぱちっと、がま口の留め金をはずした。あーんと、大口を開けるカエルの中に、笑いながら紙を押しこみ、留め金をとじた。
「これでよしと。あとは、ここにお金を入れていけばいいってことか。……来月の小づかいをもらえるまで、それは無理だな。……本当だったらいいなぁ。おれがメダルコレクション買えるように、ちゃんとがまんさせてくれるといいなぁ」
融はつぶやきつつ、ふと思った。
おばさんがいってたことが本当だったとして、むだづかいをさせないって、どうやってさせるんだろ?
それから2日後のことだ。遠くに住んでいるおじいちゃんとおばあちゃんが、ひさしぶりに遊びにやってきた。2人はおいしいおみやげをどっさり持ってきてくれた上に、なんと、融におこづかいまでくれた。
融は文字通り飛びあがってしまった。ポチ袋の中に入っていたのは、なんと、2000円。融にとっては、まるで季節はずれのお年玉みたいな大金だ。しかも2000円といったら、ちょうどほしくてたまらないメダルコレクションの値段と同じではないか。
「やった! ありがと、じいちゃん、ばあちゃん!」
これで、メダルコレクションを買える。あしたにでもおもちゃ屋に行こう。あ、そうだ。このお金は「きっちりがま口」にしまっておこう。
「さあ、ちゃんと守ってくれよな。おれの大事な大事なお金なんだからな」
融は「きっちりがま口」の留め金をはずして、お金を入れた。
ぱちんと、いい音をたてて、カエルは口をとじた。
次の日、融はさっそくおもちゃ屋に行って、メダルコレクションの注文をした。届くのは3日後の土曜日だという。今から待ちどおしくてたまらなかった。
にこにこ顔でおもちゃ屋をあとにした融は、家にもどる途中、ふとコンビニに立ちよった。お菓子コーナーをぶらぶらしていると、新発売のお菓子を見つけた。「大水族館チョコ!」と書いてあり、どうやら色々な魚の形をしたチョコレートが入っているらしい。しかも、味も変わっていて、高級アワビ風味とある。
たちまち、融はわくわくしてきた。
なんだろう? アワビ味のチョコって、どんなんだろう? 150円だし、買っちゃおうかな。期間限定って書いてあるから、今買わないと、すぐになくなっちゃうだろうし。それに、さいふには、きのうもらった2000円があるんだ。150円くらい、いいよな。そうさ。メダルが届くのは土曜日なんだから。そのあいだに山ほどお手伝いをして、お駄賃をもらえば、150円くらい、すぐにたまるさ。
なんだかんだと自分にいいわけして、融は「大水族館チョコ!」をとり、レジへ持っていった。そして、「きっちりがま口」をポケットからひっぱりだそうとしたときだ。
がぶり!
なにかに食いつかれたかのような痛みを指先に感じた。
「いててっ!」
ポケットの中に、大きな魚でも入りこんでいるのかと思ってしまった。そんなもの、いるはずがないのに。
いやいや、あわてるな。きっと、トゲかなにかがポケットの裏地についているんだ。だから、へんな痛みを感じたにちがいない。
今度は慎重にがま口を出そうとした。だが、またしても痛みを味わった。今度はもっと痛くて、がぶりがぶりと、まるで指を食いちぎられるかと思った。
飛び上がりそうになったところで、融は気づいた。
かみついてくるのは、「きっちりがま口」だ!
がま口がかみつく。そんなこと、考えることすらばかげている。でも、「きっちりがま口」なら、ありえる気がした。だって、あのがま口には、なんというか、魔法のようなものが宿っているから。
とにかく、「きっちりがま口」は、がんとしてポケットから出たくないようだった。融の手にかみついては、じゃましてくる。
痛みとあせりで半泣きになっていると、レジ係のおねえさんが、けげんそうにたずねてきた。
「どうしたの、ぼく? お菓子、買わないの?」
融ははずかしいやら、わけがわからないやらで、顔が真っ赤になった。
「や、やっぱ、やめます!」
そういって、あわててコンビニから逃げだした。
家まで走ってもどると、融はズボンをぬいで、さかさにふった。「きっちりがま口」が落ちてきた。じっと見てみたが、まったく動かない。いつもの、ただのがま口だ。
おそるおそる、指先でふれてみた。「きっちりがま口」はまだ動かない。思いきって、全体をなでまわしてみたが、へんなことは起こらなかった。
そこで、今度は留め金をはずそうとした。今のうちに、中のお金を取りもどそうと思ったのだ。
とたん、目にもとまらぬすばやさで、「きっちりがま口」が動いた。ぱかっと口を開くなり、がぶりと融の手にかみついたのだ。そのまま、ぎりぎりと力をこめられ、融は絶叫した。
「ぬああああっ! いってえええええ!」
ぶんぶん手をふりまわしたが、「きっちりがま口」ははなしてくれない。融は泣きながらあやまった。
「悪かった! ごめんって! もうお金、とらない! とらないからさ!」
そういったところ、「きっちりがま口」はようやく融の手をはなし、また動かなくなった。
真っ赤になった手をかばいながら、融は涙目で「きっちりがま口」をにらみつけた。
「な、なんなんだよぉ? なんで、うう、かまれなきゃならないんだよぉ!」
そのとき、ふいにあの駄菓子屋のおばさんの声が頭によみがえってきた。
「本当にほしいものを買えるまで、この『きっちりがま口』がお金を守ってくれることでござんしょう。しっかり、きっちりとねえ」
「そ、そういうことか!」
そうだ。「きっちりがま口」はむだづかいをさせないものだと、駄菓子屋のおばさんがいっていたじゃないか。「きっちりがま口」は、融がメダルコレクションを買うまでは、いっさいむだづかいをさせないつもりらしい。だから、チョコレートを買わせないよう、かみついてきたわけだ。
「お金を中から出せなきゃ、物は買えない。つまり、むだづかいもできないもんな……。けど、もう少し痛くなければいいのになぁ」
融はぼやいたが、少しだけ安心もした。
なにはともあれ、むだづかいをふせげたのだ。大事な2000円はそのままのこっている。これならちゃんと土曜日にメダルを買いに行けるだろう。
「やっぱ『きっちりがま口』を買ったのは大正解だったな」
ところが次の日、融は早々に「きっちりがま口」を買わなければよかったと思ってしまった。
友だちと遊びに出かけ、のどがかわいたのでジュースを買おうとしたところ、またしても指にかみつかれたのだ。
これはむだづかいじゃないはずだぞ。おれ、今本当にのどがかわいて、からからなんだ。本当に飲み物が必要なんだから、これはむだづかいじゃないだろ?
心の中で必死になってうったえたけど、「きっちりがま口」はゆるしてくれなかった。
お金をとりだすことができず、融は泣く泣くジュースをあきらめた。
「お、おれ、やっぱいいよ。いらない」
「なんだよぉ。今の今まで、のどかわいたっていってたくせに。あ、もしかして金がないの? またむだづかいして、すっからかんってわけ?」
「ち、ちがうよ。金はあるけど、こ、こんなジュースに使うなんて、もったいないじゃん。おれ、そこの公園で水飲んでくるから」
融はみじめな気分で公園の水を飲んだ。なまぬるくて、まずかった。
ちくしょう。こんなんだったら、「きっちりがま口」なんか買わなきゃよかった。なんでなんだよ! 今必要なものが買えないなんて、こんなのサギじゃん!
だが、どんなに呪ってもわめいても、「きっちりがま口」は断固として効果をゆるめなかった。それから3日間というもの、融は1円たりとも使うことができなかったのである。
土曜日になるころには、融はすっかり不安になっていた。
あのメダルコレクションのことも、「きっちりがま口」にむだづかいと思われてしまうんじゃないだろうか? そうなったら、もう決して手に入れられないだろう。
ああ、神様。「きっちりがま口」様。どうかどうか、メダルコレクションを買わせてください。あれ、ずっとずっとほしかったやつなんです! お願いします!
祈るような気持ちで、融はおもちゃ屋にむかった。レジのところで注文用紙のひかえをわたすと、お店の人がすぐに箱を出してくれた。
「では、こちら、『究極モンスターのメダルコレクション』で、まちがいないですね?」
「は、はい!」
「2000円となります」
融は息を吸いこんだ。
ああ、お願いです! ぼくにこれを買わせてください! メダルをゲットさせてください!
いざとなったら、どんなことをしてでも「きっちりがま口」からお金をとりだしてやる!指から血が出たって、かまうものか!
覚悟を決め、融はリュックサックに手を入れた。どくん、どくん、と、心臓がひびくのを感じた。いつ、あの飛びあがるような痛みが来るのか。冷や汗がじわじわとにじんでくる。指先が「きっちりがま口」にさわったときは、小さく「ひっ!」と息をのんでしまったほどだ。
だが、痛みは来なかった。
我に返ったとき、融は2000円をお店の人にわたしているところだった。
「はい、たしかにいただきました。それでは、お品物をどうぞぉ」
さしだされたメダルコレクションの箱を、融はふるえる手で受けとった。重い。思っていたよりもずっしりくる。
これ、ほんとにおれのものになったの? そうなんだよな?
うれしさがじょじょにこみあげてきて、融はぎゅっと箱を抱きしめた。なにかを買って、こんなにうれしかったことはない。「きっちりがま口」のせいでひどい目にあったから、なおさら満足感があふれてくる。なんでもすぐに買っていたときとは、くらべものにならないよろこびだ。
思わず、「きっちりがま口」をとりだし、じっと見つめた。
(ありがとな)
心の中で声をかけると、にやっと、カエルが笑った気がした。
大切に「きっちりがま口」をしまったあと、融はメダルの箱を宝物のようにだきしめて、家への道を歩きだした。
白塚融。10歳。平成26年の500円玉の男の子。