『ブータン』の取材日記、1回目です! 数々の国を訪れてきたカメラマンの齋藤亮一さんですが、ブータンに行くのはこれがはじめて。最初の打ち合わせで、「どこの国を撮りたいですか?」と伺ったら「ブータン!」と即答だったことを思い出しました。
はじめておとずれるブータン。山にかこまれた町、パロを撮影地にえらんだ。現地ではサンゲイさんという日本語も多少話せる青年がガイドについてくれた。あらかじめ今回の趣旨は伝えてある。「これからまず学校に行きましょう。それで気に入った子を探してください」のぞむところと学校に向かった。校長に会って事情を話すと、学校の撮影にはあらかじめ役所の許可証が必要で、私の一存では決められないとのこと。サンゲイさんも、行けば何とかなると高をくくっていたようだが、ハードルは意外に高かった。さて困った。許可は数日ではおりそうにない。しばし呻吟しているとサンゲイさんが「近くに私立の学校があるのでそこに行ってみましょう」というアイデア。一縷の望みを託してそこへ向かった。
面会してくれたのは三十代後半ぐらいの女性で、ここに付属している幼稚園部の園長先生ということだった。回答は明快だった。「ご希望の件は了解しました。」その返事によろこんだが、つづいて出てきたのが、「でも今日はほとんどの子どもは帰ってしまいました」「では明日金曜日にもう一度うかがいます」「明日は遠足で通常授業はありません。来週月曜日は祝日で学校はお休みです」
写真は出会いや気候、その他さまざまな外的状況に左右される表現媒体だ。撮る段階になれば、おのおのの腕の見せ所ということになるのだろうが、実はそこにたどり着くまでが問題で、運に身をゆだねる局面も多々ある。せっかく許可がおりた喜びもつかの間、今回は「出直せ」ということなのか。
そのとき先生が「そういえば居残っている生徒が何名かいます。親が共働きで仕事が終わるまで、学校で遊んでいるのです。会ってみますか」という。「もちろんです」あきらめかけた心にささやかな灯火がともった。
先生がつれてきた子はふたり。どちらも聡明そうな女の子でいい予感がした。ひとりは現代的な集合住宅に住んでいて、もうひとりは大家族で大きな伝統家屋に住んでいるという。迷いなく伝統家屋の子に決めさせてもらった。それが今回の主役リクソルだ。
その夜勤めから戻ったご両親をたずねた。おふたりの笑顔を見た瞬間「これは何もかもうまくいく」と確信した。撮影の件ももちろん快諾していただいた。「でも今はリクソルの姉も祖父母もそれぞれの事情でティンプーの妹の家にいて、親子三人だけなんです」せっかく大家族の撮影ができるとはりきっていた私の顔に、影が差したのをお母さんが気づいたのだろう。
お母さんは「あなたは運がいいですよ。今度の日曜日に法事があるので、家族も親戚もみんなウチに集まります」と続けた。私は心の中で小躍りした。ガイドのサンゲイさんともどもほっと胸をなで下ろすとともに、明日からの撮影に向かう意欲がまたモリモリと湧いてきた。
日曜日の法事の日、リクソルのお母さんの姉妹やその連れ合いなど大勢の人が集まった。その中にどこかで見たことがある人がいると思ったら、初日に子どもを紹介してくれた園長だった。「実はリクソルのママは私の妹なの。あの時はそんな話をしても仕方がなかったから」びっくりしている私の顔を見てニコニコと微笑んでいる。不思議なご縁を感じる旅だった。
(写真・文 齋藤亮一)
齋藤亮一さんによる、『ブータン リクソルと伝統のくらし』の詳細はこちらです。
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齋藤亮一
1959年札幌市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。三木淳氏に師事。フリーカメラマンとして雑誌や書籍の仕事を中心に活動。ライフワークとして、世界各地を旅し、作品を発表している。特に1989年のベルリンの壁崩壊直後より、変わりゆくロシア、東欧など旧共産圏のほとんどの国を回る。近年は「命の輝き」を求めて、日本の風土や祭りにもカメラを向けている。写真集に『フンザへ』(窓社)『INDIA 下町劇場』(清流出版)『佳き日』(パイ インターナショナル)『SLがいたふるさと』(冬青社)などがある。