取材日記

テッウェの足あとと、お寺の学校

2015/09/18

「世界のともだち」シリーズも、いよいよ最終期、第三期目の刊行がはじまりました!きょうは、刊行されたばかりの『ミャンマー』のカメラマン、森枝卓士さんによる取材日記をおとどけします!森枝さんは、「世界のともだち」の前身、「世界の子どもたち」でも、ミャンマー(当時はビルマでした)を撮影していたのでした…!

ざぶーん。あつい昼下がり、家の入口のあたりで水浴びをしていたスミンミャは、もうめんどうくさいととびこみました。あんまり泳ぎはじょうずじゃないので、うきぶくろをつけて。きもちよさそうにぷかりぷかり。まわりでは舟にのった人たちが、笑いながらとおりすぎていきます。
いいなあ。
あつかったら、家からすぐに水の中にとびこめるのですもの。スミンミャのきもちよさそうな顔をみていたら、ちょっとうらやましくなりました。湖の上にくらすことが。
舟でないといけない家なんて、めんどうくさいなあと思っていたのですけど。

 

今からちょうど30年前の1986年。『世界の子どもたち ビルマ 少年僧になったテッ=ウェ』という本をだしました。「世界の子どもたち」はこの「世界のともだち」の前のシリーズです。30年前にもこのような写真絵本が作られていたのです。
ビルマはミャンマーの昔の名前。本が出たあとに、国の名前が変えられたのです。新しいシリーズが作られるという話になって、また、わたしはミャンマーで作らせてもらうことになりました。ちがう国で作りたいなという気持ちもあったのですけど、この国がどう変わっているのか、子どもたちのくらしはどう変わったのか、それを見たいなという気持ちもあって、ミャンマーの担当にしてもらったのでした。

さて。どうしよう。さいしょに思いついたのは、前の主人公、テッウェはどうしているのだろうということでした。あのころ、10才くらいだったから、いまは40才か。
もしかしたら、ちょうど10才くらいの子どもがいるかもしれない。親子二代でモデルになってもらうっておもしろいんじゃないかしら。
そのころはまだ、インターネットはありませんでしたから、手紙でやりとりしていたのですけど、いつのまにか、それもとぎれていたのでした。学校があったあたりをたずねてみると、あたりは町になっていました。当時は、ヤンゴン(これもむかしはラングーンといっていて、名前がかわったのでした)のはずれで、ちかくには水田がひろがっていました。道は土のままで、雨がふれば水たまりができるようなところでした。学校は木と竹をあんだカベでできていて、となりの教室の声がつつぬけでした。校庭の水たまりでアヒルが水浴びしていました。近所の人たちもかってに行き来していました。

ところが。
学校はりっぱなコンクリートの、そう、日本の学校と同じようになっていました。道はほそうされて、もう穴ぼこはありません。
でも、中に入れてもらえませんでした。外国人を学校の中にいれてはいけないのですって。よくわからないけど、そういう命令が上の方から出ているということだったのです。ヤンゴンの公立の学校はどこも同じということでした。困った。どうしよう……。
そうそう。30年前のモデル、テッウェのこと。ずいぶんと前にひっこしたけれど、外国で大きな船にのる仕事、船乗りになっているということでした。同級生だった人に学校のちかくでたまたま会って、話が聞けたのでした。そういえば、「外国にいってみたい」といっていました。願いがかなったのだなあ。

ともあれ。その同級生の人には子どもがいて、ちょうど、四年生ぐらいだったのですけど、学校で写真がとれないのなら、あきらめるしかありません。公立の学校がだめならば、そうでないところならいいか。そう思ってさがしたのが、仏教のお寺がやっている学校でした。
全国から千人をこえる子どもたちがやってきて、お坊さんになっています。お寺にすみこんで、お坊さんになり、そして、そこで勉強をするのです。

何度もたずねて、そのくらしを見せてもらいました。朝早くにおきて、おいのりをして、托鉢というのですが、近所の人たちの家々から食べものを集めて……。それはびっくりすることがたくさんある、ふしぎな学校でした。お坊さんになって勉強して、大人になる(そのあとはそのままお坊さんになる人もいれば、ふつうの仕事をするようになる人もいました)。

ただ、主人公にちょうどよいかなと思える子どもになかなか出会わなかったことと、こんな特別な学校で「ミャンマーの子どものくらし」として絵本にしていいものか。そんなことを考えてなやんでいたときでした。
インレー湖という湖の上にくらす子どもが親せきにいるよ、という人に出会ったのです。いなかだったら、学校に外国人が入ってはだめ、なんてこともいわれないよといいます。

<2回目につづく…>

(写真・文 森枝卓士)

世界のともだち㉖『ミャンマー 湖の上でくらすスミンミャ』、
くわしくはこちらをごらんください!

森枝卓士

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1955年、熊本県水俣市生まれ。大正大学客員教授。早稲田大学などでも食文化を講じる。高校のころ、アメリカ人写真家ユージン・スミスと出会い、写真家を志す。国際基督教大学で文化人類学を学び、以後、アジアをはじめ、世界各地を歩き、写真、文章を新聞、雑誌に発表。おもな著書に、『食の冒険地図』、『世界の食事おもしろ図鑑ー食べて、歩いて、見た食文化』、『考える胃袋ー食文化探検紀行』、『料理することーその変容と社会性』、『食べもの記』、『手で食べる?』などがある。レシピ集なども執筆。

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