取材日記

ソンとチュンとの2年ぶりの再会!

2015/07/29

『世界のともだち ベトナム』を撮った鎌澤久也さんは、この春に主人公のソンとチュンたちをたずねました。ちょっと大きくなったソンとチュン。どんな再会だったのでしょう?
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2年ぶりにソンとチュンを訪ねる機会がおとずれました。さっそく通訳していただいたフックさんに連絡し、ソンとチュン、そしてグエンさん一家の都合をきいてもらいました。するとうれしいことに、「いつでもオーケーです」という返事が返ってきました。今回はわたしといっしょに撮影ツアーへ行く方々とみんなで押しかけるので、無理でなければ、ソンとチュンの家でランチがしたいということを伝えてもらいました。

フックさんは当時学生でしたが、念願の日本企業に就職できたとはりきっていました。そんななか、「会社を休むのでいっしょにつれてってくれ」というではありませんか。2年前の取材ではフックさんの人柄もあり、よりいっそうグエンさん一家と親しくなり、いい時間をすごすことができました。今回の再会にもまた期待に胸がふくらみました。

当日は、撮影ツアーの一行とわたしとで、早朝から子どもたちの通学風景や、学校の近くの朝市の撮影をし、その後、ソンとチュンのおうちにおじゃますることにしていました。
すると、なんと! 学校の近くでソンとチュンが待っていてくれているではありませんか。

驚いて、きいてみると、「きょうは学校を休むことにした」といいます。「大丈夫なの?」というと、「たまには休んでも平気だ」といいます。 ひさしぶりに会ったふたりは、身長も伸び、じゃっかんですが大人びていました。それも当然のこと。なにしろ育ちざかりの2年間です。成長していないほうがおかしいのです。うつむきかげんではにかんだような笑顔は、それはそれでいいのですが、ハグして再会を喜ぶというにはほど遠く、ふたりとの間にどことなくぎこちない雰囲気も感じました。彼らも思春期をむかえていたのですね。

10時過ぎにおうちにおじゃますると、両親やおじいさんが満面の笑みでむかえてくれました。こちらはお母さんとハグして再会を喜びあいました。奥の台所には、親せきの人が2人きていて、お昼に食べる春巻きとバインセオ(ベトナム風お好み焼き)を作ってくれていました。ぼくが以前滞在していたとき、「おいしい、おいしい」といって何個も食べたのを覚えていて、それを食べさせようと大量に作ってくれていたのでした。

裏庭はランブータンを中心とした果樹園になっているので、そちらに向かうと、残念ながらいまはジャックフルーツだけで、ランブータンは来月ごろだそうで、見慣れた赤いひげのある実はまったくありませんでした。

4月は雨期前で、もっとも暑いシーズンでもあり、地元の人たちは日中ハンモックにゆられて昼寝をしていることが多いのです。でも、ソンとチュンのところには、となりの子どもが遊びにきていて、木に登ったり、家の目の前の川にとびこんで水遊びをはじめたりしていました。こうしたところは2年前とまったくかわりません。


最後に気になっていたことを思いきってきいてみました。ソンとチュンを主人公にした『世界のともだち ベトナム』の本のことです。ソンとチュンの一家は、はたして気に入ってくれているのだろうか。すると、子どもたちはもちろんですが、お父さんが「わが家の家族史だ」といってとても喜んでくれていたのです。

ふたりを撮ることはつまり、家族全員の日常をとらえることでもあり、とまどいもあったかもしれません。しかし、一家はぼくを気持ちよく受けいれてくれ、撮影に協力してくれました。それが昨日のことように思い出され、心の底から本をつくってよかったと、あらためてご家族そしてソンとチュンに感謝しました。そして家族みんなが元気で、いっしょに訪れたほかの人たちのことも気持ちよくむかえ入れてくれたことに感謝し、わずかな再会の時間ではありましたが、喜びの余韻を胸に日本へ帰りました。

いつかまた会いにいきたいと思います。

(写真・文 鎌澤久也)

仲よしの兄弟ソンとチュンが主人公の
世界のともだち11『ベトナム ふたごのソンとチュン』 の詳細はこちらです!

鎌澤久也

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1952年岩手県生まれ。東京写真専門学校卒業。(社)日本写真家協会会員。駒澤女子大学非常勤講師。1980年よりアジアの人々、とりわけ少数民族の生活に関心を抱き、彼らの衣、食、住に関わる写真を撮り続ける。近年はメコン川や長江などの大河を遡上し、そこに住む人たちの生活に密着して写真を撮っている。「雲南」「メコン街道」など写真展を多く開催。著書に『雲南』『雲南・カイラス4000キロ』『玄奘の道・シルクロード』『メコン街道』『シーサンパンナと貴州の旅』などがある。

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