取材日記

3世代での田んぼ仕事

2015/02/09

きょうは『ブータン』の取材日記、2回目です(1回目はこちらです)。広い田んぼをもっているリクソルの家では、初夏になると田んぼの仕事でおおいそがし。家族総出で田んぼで働くようすを撮りに行った齋藤さんでしたが……

二度目の取材は青々とした稲穂が光り輝く季節にしたいと思った。ブータンもインターネットの時代だ。リクソルのお母さんとメールのやり取りをして日程を調整した。「田植えも終わって緑がきれいですよ」このメールを合図に六月中旬にブータンを再訪した。

半年ぶりに会うリクソルは少し背が伸びて、前回よりお姉さんになっていた。お母さんのソナームさんから驚きの話があった。「実はリクソルのパパは今アメリカに出稼ぎに行っているの。数年は帰ってこられないと思います」ブータン社会の激しい変化の波はこののどかなパロの町にも押しよせていた。子どもをよい学校に行かせるためには、ブータンの安い賃金では難しいため、苦渋の決断だったようだ。港で得意のフォークリフトで荷物の運搬をやっているという。家庭ではこれまでお父さんが担当していた力仕事も、今はすべてお母さんがやっている。いつも元気なソナームさんの表情にも疲労が滲んでいた。

撮影もどうしたものか。今回もリクソルの祖父母とお姉さんはティンプーに居るという。家族で田んぼ仕事をしているイメージを描いていたのにもくろみは大きく外れてしまった。せめて田んぼ仕事の中心的存在であるおばあさん、そしてソナームさん、リクソルの女性三世代の写真で本の最後を終わらせられないかと希望を伝えてみた。さっそくティンプーに連絡をとってくれたソナームさんは「安心して。日曜にティンプーの妹が父と母を車に乗せて連れて来てくれることになったから」ここのご家庭にはいつもめんどうをかけて心苦しいが、その分いい本にして喜んでもらおうと自分に言い聞かせた。

ところが土曜の夜にソナームさんから電話があり「妹が急に熱を出して運転できなくなったの。申し訳ないけど今回はあきらめてください」がっくりと力が抜けたが、病気ではしかたがない。あきらめかけていたところ、翌朝ガイドのサンゲイさんから一転嬉しい知らせがあった。「リクソルのおばさんの校長が車を運転して、おじいさんとおばあさんを迎えに行っています。お昼前にはこちらに到着するそうです」

本の最後をかざった、リクソル一家の3世代の写真をこうして撮ることができた。ブータンのみなさんの親切と、あたたかい気持ちに支えられ、この本が完成したのだ。

(写真・文 齋藤亮一)

齋藤亮一さんによる、『ブータン リクソルと伝統のくらし』の詳細はこちらをどうぞ!

齋藤亮一

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1959年札幌市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。三木淳氏に師事。フリーカメラマンとして雑誌や書籍の仕事を中心に活動。ライフワークとして、世界各地を旅し、作品を発表している。特に1989年のベルリンの壁崩壊直後より、変わりゆくロシア、東欧など旧共産圏のほとんどの国を回る。近年は「命の輝き」を求めて、日本の風土や祭りにもカメラを向けている。写真集に『フンザへ』(窓社)『INDIA 下町劇場』(清流出版)『佳き日』(パイ インターナショナル)『SLがいたふるさと』(冬青社)などがある。

http://www.saitoryoichi.com

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