取材日記

思い出の貝がら島へ

2016/02/26


今日の取材日記は『セネガル』です。写真家の小松義夫さんが訪れたのは、なんと貝がらでできた島。まるで童話の舞台のようでしょう? いったい、どんなふうにして島ができたのか……その真相にもせまります!?

今回の本をつくるにあたって、思い出深いセネガルのどこでモデルになってくれる子を探そうかと考えました。そしてすぐに、以前に行ったことのある貝がら島(正式にはFadiouth村)がいいと思いついたのです。

セネガルとわたし ペリカンの思い出とともに

さきに少し、わたしとセネガルのかかわりを語らせてください。セネガルを初めて訪れたのは1980年代。まず向かったのが、首都ダカールの沖に浮かぶゴレ島でした。島にある「奴隷の館」は、アフリカ各地から奴隷が集められてカリブ海の島やアメリカ大陸などに送られた歴史を語っています。15世紀末から19世紀はじめまで、たしかな人数はわかりませんが、この島から1000万人とも2000万人ともいわれる人たちが、生まれ故郷から大西洋の向こうのアメリカ大陸へと連れ去られました。自分の住んでいる土地から拉致されて、奴隷として売られる運命となった人たちは、ここからどんな気持ちで海を見たのだろう。ゴレ島から大西洋を望みながら、世界の歴史に思いをめぐらせました。

その後1994年に南部のカザマンス地方というところへ、おもしろい形の屋根をした家の写真を撮りにいきました。カザマンス地方は独立運動があって、セネガル軍と独立派が衝突をすることもあり、少し危険な取材でした。さいわい取材はうまくいき、帰路は首都ダカールをめざし、ひたすら車で北上。ガンビアに入国してガンビア川を渡り、またすぐ出国して、ふたたびセネガルに入りました(ガンビアは全土をセネガルにとりかこまれている横に細長い国。地図を見ると、その不思議な位置関係がよくわかります)。

貝がら島をはじめて訪れたのは、そのときです。約500メートルもの長い橋を歩いて島へわたり、全面貝がらの地面に足をふみいれると、足のうらから伝わる感触と、歩くたびにサクサク音が鳴るのがおもしろくて、すっかり嬉しくなりました。

 

橋のすぐたもとにフィニオという簡素なホテルを見つけ、そこに泊まることにしたのですが、そのとき庭にペリカンが歩いていたのが印象的でした。今回の取材で20年ぶりに同じホテルを訪れると、庭にはやはりペリカンが歩いていました。ペリカンに「きみは20年前のペリカンくんかね?」と日本語で話しかけ、「歩き方がモタモタしているね」とからかったら、大きなクチバシで腕をパクリとはさまれました。ペリカンは日本語がわかるのでしょうか? ちなみに飼育されているペリカンの寿命は約50年とされています。

レネとマドレーヌ

セネガルはフランス語を話す国ですが、わたしはフランス語が不得意です。たまたまホテルで働いていた、セネガルではめずらしく英語を話すレネという青年に会い、彼の紹介でマドレーヌやその家族と知り合いになれました。レネは荷車のついた馬を持っていて、マドレーヌのお父さんといっしょに畑に行くこともある、正直で優しい性格の青年でした。

レネが事前にマドレーヌの両親に話をしてくれていたので、両親から事情を聞いていた彼女ははじめて会ったときから素直にモデルになってくれました。そして「撮影」にそなえて、髪の毛をおしゃれに編んできていました。勘がきき、頭が良い彼女は私が撮りたいものをよく察してくれて、自分で学校の校長先生に校内の撮影許可をとってくれたりもしました。

マドレーヌの家の目印は、赤い花の咲くこの木です。路地を入ると中庭につながっていて、お父さんのアントンやお母さんのエレンが歓迎してくれます。

貝がら島のなりたちの真相

1994年に初めて貝がら島を訪れたとき、英語が上手な島の青年に「貝がらは、海から貝が打ちよせられる近くの島からとってきて、まくのです」といわれ、以来そのロマンチックな話を信じていました。でも今回の取材で何回も島を訪れるうち、たぶんあのときの彼は、外から来た人を喜ばせようとして作り話をしたのだな、と思いました。島の長老たちの集会所にすわって、となりの人に「貝がら島はいつごろできたのか」と聞くと、「ずーっと、ずーっと昔からの貝がつもってできたのだ」といいます。どれくらい「ずーっと昔」なのかと思いをめぐらすと、「かなり、ずーっとずーっと昔だ」ということに、はたと気がつきました。つまり貝がらが積もって島になるというのは、日本の縄文~弥生時代前期に採取生活をしていた時代の人々が残した貝塚に似ている、と思い至ったのです。近くのサルーム・デルタの村を訪れると、島ではないけれど貝がらの上にある村が多かった。おそらく、このあたりに住む人たちは海岸線で貝を採って食べ、畑で雑穀をつくって1000年ほど生活してきたのではないかと思われます。

 

東京にいても、私をかんだペリカンくんのことや、大西洋の潮のにおい、ふみしめた貝がらの感触、そしてあの島に住むマドレーヌのことを思い出すと、のびやかな気持ちになります。

 

(写真・文 小松義夫)

世界のともだち㉚『セネガル 貝がら島のマドレーヌ』の詳細はこちらをどうぞ!

島の地図にもワクワクしますよ。

 

小松義夫

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1945年生まれ。世界各地で人のくらしを中心に撮影をつづけ、現在も多くの時間を海外取材に費やす。おもな著書に『地球生活記』『地球人記』『世界あちこち家めぐり』(以上、福音館書店)、『K2に挑む』(新潮社)、『世界の不思議な家を訪ねて』(角川oneテーマ21)、『ぼくの家は「世界遺産」』(白水社)、『土と水のドナウ紀行』(INAXライブノート)、《Humankind》(Gibbs Smith,U.S.A.)、《WONDERFUL HOUSES AROUND THE WORLD》(Shelter Publications,U.S.A.)など。

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