取材日記

トルコで出会った大切な家族

2015/07/13

きょうのブログは、林典子さんの取材日記2回目です!→1回目はこちらへ。
世界のともだちシリーズに参加してくださったカメラマンさんが、どんなふうに子どもたちや家族と距離を縮めていっているか、そんなことも伝わってくる取材日記です!

 

2回目にエブラールを訪ねたのは、最初の取材から4か月後の2014年5月。 これまでのわたしの海外での取材先は治安面や衛生面などを考えると、日本でのくらしに慣れているわたしの家族をつれていけるような現場ではありませんでした。しかし、今回のエブラールの取材は世界遺産に登録されているきれいでとても平和な街だったので、せっかくだからとわたしの母を誘っていっしょにエブラールの家に滞在することにしました。

母をつれていったことで、わたしだけではなく家族どうしでの交流がはじまったような感じがして、よりエブラールの家族との距離も縮まっていきました。春には世界中からエブラールのペンションにお客さんが訪れていて、わたしと母もほかのお客さんたちといっしょに朝食をとったりしました。


エブラールはモノを大切にする子で、わたしがあげたホッカイロが入ったふくろまで、捨てずにきれいにテープで切れ目をつなぎあわせてタンスにしまっておくような女の子です。折り紙でつるの折りかたを教えてあげると、何十枚も折り紙をあげたのにも関わらず、同じ紙を何度も使ってつるをつくったりしていました。

ツーリスト・インフォメーションで働くヤコブさんは、夕方の5時ごろになるとエブラールの親せきのおばさんが経営する小さなカフェで街の人たちに日本語を教えるボランティアをしていました。わたしとエブラールは、ときどきその勉強会に合流し、日本語を勉強する街の人たちといっしょに紅茶を飲んだり、おしゃべりをしたり、わたしも日本語を教えるのを手つだったりしながら、のんびりとした時間をいっしょに過ごしました。


3回目の滞在は8月の終わり。日本を出発する日に高熱をだしたわたしは、サフランボルのエブラールの家に到着するなり、そのままベッドにたおれこんでしまい、それからの1週間はずっとエブラールのお母さんに看病をしてもらうだけの時間が過ぎていき、結局3回目の滞在で撮影したのは到着から1週間後に家族で海にいったときだけでした。

日本に帰国する前日、エブラールは「この取材が終わっても、サフランボルに遊びにきてね。これで終わってしまうのは悲しすぎるから……」と言って泣いてしまいました。お母さんのケズバンさんとお父さんのハリルさんは「昨年の12月に『取材をしたい』と申しこまれたときには、自分たち家族の生活をさらけだすなんて嫌だと思ったので、だから最初はことわったんです。でもいまは、わたしたちにとってもエブラールにとってもすばらしすぎる経験になったと思っています」と話してくれたのが、ほんとうにうれしかったです。

ゆっくりとした時間のなかでのサフランボルの人びととの交流したり、地元の食材を使ってつくるお母さんの料理を学んだり、豊かな自然のなかでのびのびとくらすエブラールの日常を見ながら、わたし自身がそれまで仕事や日々の取材に追われて毎日あわただしく過ごすなかで忘れていた、人間にとっての幸せのあり方を感じることもできました。

本が出版された今年の2月、本を手に再びエブラールの家を訪ねました。その際、ツーリスト・インフォメーションのヤコブさんにお願いをして、本に書いた内容をすべてトルコ語に訳してもらい、エブラールの家族に本を手渡しました。この本がエブラール一家にとって、大切な家族の思い出の一つになってくれればうれしいです。

(写真・文 林典子)

サフランボルでくらす人びとの日常生活が見えてくる
世界のともだち24『トルコ エブラールの楽しいペンション』 の詳細はこちらです!

林 典子

関連記事一覧

1983年生まれ。大学在学中に、西アフリカ・ガンビアの新聞社で写真を撮りはじめる。「ニュースにならない人びとの物語」を国内外で取材。ワシントン・ポスト紙、デア・シュピーゲル紙、米ニューズウィーク、ナショナル ジオグラフィック日本版などの数かずのメディアで作品を発表。2013年フランス世界報道写真祭 Visa pour l’Image金賞、14年NPPA全米報道写真家協会賞1位など受賞。著書や写真集に、『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳』(岩波書店)、『キルギスの誘拐結婚』(日経ナショナル ジオグラフィック社)がある。

  • チェック