岡田淳 エッセイ「図工準備室の窓から」

第34回 遠足のつきそい

「戸棚の中のマリオネット」右に怪獣。左はピエロ。

 ある学年が三クラスだったとして、遠足に行くとき、三人の学級担任だけで連れていくという場合のほうが少ない。そのほかに少なくともひとりは余裕がほしい。
 たとえば突然子どもが歩けなくなって、タクシーで連れ帰らなければならなくなったとき。子どもが電車に乗り遅れて、その場にひとり残らなければならなくなったとき。そういうときに、もうひとりが必要である。
 そこを学級担任ではない音楽や図工の先生、ときには養護の先生がうめる。遠足的行事という担当者がいて(学校にはやたら担当者がいるのだ)、適当な学年に適当な人材をあてはめる。ぼくたちはつきそい、と呼んでいたが、旅行命令簿(そんなものがある)には○年生児童引率、と書く。
 実感としては引率するというより、引率されているというのが正しい。なにしろ下見をしていない。学級担任はかならず下見をしているのだが、図工の先生には、はじめて足を踏み入れる場所である。いきおい最後尾につくことになる。学級担任、子どもたち、学級担任、子どもたち、学級担任、子どもたち、ぼく。
 こういう長い列の最後尾を歩く苦労は、こういう長い列の最後尾を歩いたことがあるひとにしかわからない。先頭を歩く苦労が、ぼくにはわからないように。
 先頭が歩きはじめたとき、最後尾が同時に一歩を踏み出すということはありえない。そんなことができるのは新体操団体の選手かシンクロナイズドスイミングの集団ぐらいである。先頭が歩きはじめたな、とふたりめが歩きだす。ここですでに何分の一秒かのタイムラグ、時間の遅れがある。なかには何分の一秒ではすまない子もいる。それが最後尾まで積み重なる。列が長ければ長いほど後ろは遅れていく。
 このスタートの時間差がそのまま続くかというとそうではない。この差はひろがる。かならずひろがる。ちょっと景色に目をとられたり、話に気をとられたりするだけで、前を歩くひととの差が二メートル、三メートルなど、あっという間にひろがる。おまけに交通信号があったりする。先頭は自分のタイミングで渡る。後ろはそうはいかない。列が長ければ何度か信号待ちをする。いよいよ差がつく。
 信号の青はいつまでも青ではない。できればクラスの列を切りたくないから走る。
「青のうちに渡るぞ! ダッシュ!」
 最後尾がいちばん走らされる。でなければ前の列が小さくなっていくのを、赤信号と見比べて待ち、青になってから、
「追いつくぞ! ダッシュ!」
ということになる。
 この〈ダッシュ〉は信号がなくてもやらねばならない。だらだら歩いていると後ろのほうでは、ひとりとひとりの間隔が何メートルにもなってくることがある。これではいけない、つめようと走る。
 先頭も最後尾も結局は同じ距離を歩く。それはまちがいない。だが先頭は同じペースで歩く。後ろはだらだら、ダッシュ、だらだら、ダッシュ、となんだか疲れるのである。
 山道になると、足の強くない子もいる。そういう子のやさしい友だちもいっしょにゆっくり歩いてくれる。あれこれするうちにどんどん差がひろがる。
 長い距離を歩くときは途中で休憩をする。だがてきぱきするのが好きな先生が先頭の場合、これだけ休めばいいだろうと歩きはじめるのが、最後尾が到着したときだったりするのである。
 列が乱れてくると、ぼくのまわりを歩いているのは、足の遅い子とその友だち、それに歩くことより何かに気をとられたり、ふざけたりするのが好きな子たちばかりになる。ぼくは、
「キョウヘイくん、もうすぐやで。」
と、はげましたり、
「アツイくん、ひとの家にはいったらあかん。」
と、注意したりしながら歩くのだ。
 一本道ならまだいい。古くからある町を横切って目的地にむかうこともある。細い道に十字路、三叉路いりまじるなか、右に左に折れ曲がりながら進むことだってある。神戸市垂水区にある五色塚古墳に行くときがそうだった。そういう道をキョウヘイくんやアツイくんたちといっしょに歩いていた。
「がんばって歩きや。前を歩いてる子が角を曲がってしもたら、どっち行ってええのんかわからんようになるから。」
「先生、もうすぐ?」
「ああ、もうすぐや。アツイくん、ひとの家の葉っぱ、ちぎったらあかん。」
「植木屋さん、松の木をこうしてちぎりはる。」
「それ、ちょっとちゃうと思うで。あのな、ゆうとくけど、ぼくはここの道はじめてやねん。な、下見にきてないねん。どっちへ行くか知らんから前の子についていってるんやで。遅れたら前の子見失う。迷子になるで。そこのとこよう考えて歩きや。」
「先生、はじめてやのに、なんでもうすぐやゆうてわかるのん?」
「アツイくん、よう気ぃつくなあ……。おいおい、そんなことゆうてる間に、前の子、おれへんやないか。」
「あ。」
「あ、やないで。えらいこっちゃないか。アツイくん、きみ、ひとつむこうの角まで走って、ようすを見てきてくれへん?」
「がってんだ。」
「先生、迷子になったん?」
と、キョウヘイくん。
「ははは、迷子や。」
「ははは、迷子か。」
「せーんせー、だーれも、いてなーい。」
「アツイくん、道のまんなかで大きい声だすなや。かっこ悪い。まるでぼくらが迷子になったみたいに聞こえるやないか。」 
「先生、迷子やろ?」
と、キョウヘイくん。
「ははは、迷子や。」
「ははは、迷子か。」
「ぼくのカンでは、こっちへ行ったと思う。」
「アツイくんのカンで行こか。」
まあぼくのカンでもそっちだろうと思ったのだ。こういうことを二つ三つの角でやったあと、前の子どもたちが見えた。
「きみのカンはたいしたもんや。」
とアツイくんに言った。はははなどと冷静をよそおっていたが、一瞬ひやりとしたのもほんとうである。キョウヘイくんはぼくがひやりとしたのを見ぬいていた。迷子のあいだ、汗ばんだ手でぼくの手をずっとにぎりしめて、はははなどと答えていたのだった。
 最後尾では、こういう会話が楽しめる、というのが苦労の代償なのである。