小学校で図工の先生をしながら、児童書作家としても活躍している岡田淳さん。2007年に退職されるまで38年間、図工の先生として小学校で見たり聞いたりしたことを、エッセイでつづります。
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図工準備室は不可避的に雑然としてくる。とするなら、いい感じの雑然でありたい。
第35回 「先生」と「友だち」のあいだのあたりいろんな小学校で、いろんな子が、授業とは関係なく図工室にやってきた。遊びにきていたのだ。
第34回 遠足のつきそいある学年が三クラスだったとして、遠足に行くとき、三人の学級担任だけ連れていくとい う場合のほうが少ない。そのほかに少なくともひとりは余裕がほしい。
第33回 瓢箪から駒の話学校は、ほかのひととの関係のなかで文化と系統的に出会うところ、と決めると、図工の目標は…
第32回 縄文人たち縄文土器、というものがある。我国で作られた最初の焼きもの。それがあまりに印象的なので…
第31回 セイちゃんとキョウちゃん––––個体発生は系統発生を繰り返す。 というのは、動物学者にして思想家のヘッケルの言葉である。
第30回 ビー玉のジェットコースターこの教材はすてきだ、ぜひ子ども達に出会わせたい、そう思う教材は、毎年その学年で実施する。
第29回 中庭と保健室と五校め、神原(かんばら)小学校––––。ゆるやかなスロープを上ると、校舎と体育館に囲まれた中庭に出る。
第28回 九年前の決心勤め先がどの小学校に変わったときも、まず図工室の整理と掃除をする。出ていくところも整理と…
第27回 作文のこと研究授業、というものがある。授業をみんなで観て、それについて話しあうのである。
第26回 冗談から出た真(マコト)子ども達とよく冗談を言い合う。「明日の図工の用意は何ですか?」 などと職員室のぼくの席まで聞きにくる。それは先週言っておいただろうと思うが、「さあ、何やったかな、ゆうてみ。」と、答えてやる。
第25回 ゴムの長グツとほうきとどの小学校の子ども達も、どの小学校のおとな達も、どの小学校の図工室も図工準備室も、ぼくは本当に好きだった。
第24回 支えられる、ということぼくがいつもにこにこしていたかというと、勿論そんなことはない。
第23回 阪神大震災のこと阪神大震災のことを書くのはむずかしい。悲しい話はいくらもある。
第22回 演劇クラブが始まったわけムカツク、キレルなどという言葉は、かなり前からあったと思う。
第21回 ゆっくりとした反応体津門(つと)小学校のKくんのことである。Kくんは作品をつくるのは遅くない。
第20回 組立体操は甘酸っぱい(後編)体育会で、休んだ子の代役で組立体操に出たぼくは、逆立ちを一発で成功させた。
第19回 組立体操は甘酸っぱい(前編)津門(つと)小学校での、ある体育会のこと。六年の男の子が突然休んだ。
第18回 アーサー・ランサムのこと(後編)ところで、ぼくがなぜアーサー・ランサム全集を知ったのかというと、高校演劇部の先輩フジムラさんのおかげである。
第17回 アーサー・ランサムのこと(前編)夙川小学校で教えたナカガワくんが、津門(つと)小学校の準備室にやってきた。
第16回 泣くだけが感動ではないあるミュージカルの打ち上げで、演出家が作曲家を横目で見ながら、「全部音楽に持っていかれちゃうんだよなあ」と冗談めかして嘆いた。
第15回 鼻歌まじりにはかなわない四年生の木版画の授業をしていた。どうしてもその二時間で全員完成まで行きたい、と思っていた。
第14回 ぼくが愛した西館津門小学校の図工室は、敷地の西の南北に伸びた校舎、西館の一階にあった。
第13回 トンビのトンちゃん昼休み、職員室にいると、ある先生に声をかけられた。「オカダさん、鳥、触れる?」
第12回 整然は雑然に支えられる図工準備室というものがそうなのか、図工の先生がそういうものなのか、ぼくに理由があるのか知らないけれど、準備室にはモノがどんどん増えていく。
第11回 蚊取りリボン三校めの段上小学校が、ぼくの使った図工室のなかで、いちばん広かった。
第10回 学校ウサギをつかまえたこと学校で起こったことをそのまま物語に書く、ということをしたことがない。
第9回 宝物はひっそりと輝く上甲子園小学校でのある年の図工展で、こんなことがあった。二年生が四クラス共同で「アスレチックのある公園」という作品を出していた。
第8回 戻らない日々なぜ西宮市の先生になったかというと、小学四年生の夏まで、西宮市で過ごしたからである。上甲子園小学校に通っていた。
第7回 ある小学校のお話小学校には給食に時間がある。給食の時間には、〈お昼の放送〉が放送室から流されている。
第6回 天然の守護天使図工のジャンルのひとつに、お話の絵、というのがある。先生が読み聞かせたお話を、絵にするのである。
第5回 シバタさんのつっかけ下駄図工の先生になってしばらくしてのことだった。ある日の夕方、五年三組の担任のタブチ先生といっしょに帰ることになった。
第4回 迷宮のなかで天使の声たとえば体育の担当の先生。いちばん気が重いのは運動会だろう。
第3回 最初の図工準備室大学を卒業してすぐに勤めた夙川小学校の図工室は、ふつうの教室だった。
第2回 60才は悲しいか?いや、まさか60才になるなんて思っていなかった。自分だけは60才になんかならんだろうと思っていたわけではない。
第1回 はじめに、そして『手と人』のこと西宮の小学校で、38年間図工の先生をして、2007年の春、定年退職をした。その38年間のあれこれをここに書いていこうと思う。